こんにちは、ネッチです。
今回は、With×MEETSなどの高頻度なリアルタイムコンテンツが多い蓮ノ空との関わりの中で、最近考えることについて書いてみようと思います。
〇〇しなければ損
「〇〇しなければ損」の論法って、意識してみると結構身の回りに溢れてるなと思うことがあります。
使わなければ損!とか、知らなければ損!とか。こういうのって、顧客の購買意欲を煽ったり、ウェブサイトを開かせたりするために、あっちこっちで叫ばれてる気がします。
でも本当に「損」なのかって言われると、実際そうでもないよね、っていうパターンは割りとあります。
例えば、僕はあなたが知らないラブライブ!の素晴らしさを知っていたとして、「それを知らないなんてあなた損してますよ!!」って言われたとして、あなたは「損をしている」と思うでしょうか。今のところラブライブ!楽しめてるしなぁ、って思いませんか?知らないことがあったとしてもそれは損をしているという感情に繋がらないこともあると思うんです。
あったかもしれない「得」がないから「損」だなんて、なんとも胡散臭い主張だなと思います。ラブライブ!が教えてくれる「いまを大切に」というスタンスは、そのあったかもしれない「得」を考慮してもなお「いま」の価値を認める、あるいは認められるような「いま」を追い求めよう、ということのはず。
「もったいない」の感覚を有する日本人的な考えなのかもしれませんが、「損」という概念に踊らされているような気がして、ちょっと嫌なんですよね。
超リアルタイムコンテンツとの向き合い方
この「〇〇しなければ損」っていう感情は、売り手が意図的に煽ってるパターンだけじゃなくて、買い手が不必要にそう思ってしまうパターンもあるなと思います。
僕の場合、蓮ノ空と向き合っている瞬間にその事に気付きました。
別の予定が入っていたために、アプリ内の配信をリアタイできなかった日がありまして。その上、リアタイ参加特典的なアプリ内アイテムを貰えなくて、その事を残念に思ったのですが、その時の感情は正しく「損をした」というものでした。
いま振り返ってみると、こういう場合に「損をした」と思う意味って、あんまり無いなと思うんですよね。配信をリアタイできたら楽しい時間を過ごすことができて「得をした」と思うことに意味はあると思いますが、リアタイできなかったからと言って「損をした」と思う必要って無いよな、と。
最高得点を獲得し続けたい人にとっては一回の見逃しも許せないとは思いますが、何回見逃そうとその後の活動を追いかける時間が加点であることに変わりはないはずですし。*1
そう思ったら、随分気楽に、末永く蓮ノ空と付き合っていけるような気がしてきました。
見逃す勇気と触れる勇気
結局のところ、配信にしろ何にしろ、多少は見逃してもいいやと思う勇気と、その後に(モチベを落とさずに)もう一度コンテンツに触れる勇気が僕にとっては大事だなと思いました。
蓮ノ空に人生を懸けている人にとっては、勿体ないことしてるな、と思われるでしょうが、今のところこのスタンスが僕には必要でした。
スクールアイドルと時間ないし空間を共有し、丁寧に思い出を積み上げていくという方法で、彼女たちに向き合うことの価値は知っていますし、(別グループに対して)現在進行系で続けています。ただ、この方法はあったかもしれない思い出を逃した瞬間に「減点」をくらってしまうので、やはりしんどい部分もあります。もちろんそれを承知の上で価値を感じるから続けている訳ですが。
その意味で、逆に蓮ノ空には純粋にエンターテイメントとして、曇り無い心で楽しめる存在でいて欲しいなと思いました。いつ会いに行っても、会いに行けば行くだけ「加点」になって、ストーリーに感動して、配信を楽しんで、ライブに熱狂できる。そんな存在でいて欲しいなって。
君と僕とは ときめきのまま繋がろう
Dream Believers/蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ
ある意味自分勝手だなと感じますし、蓮ノ空を真剣に応援している人に頼りきりな部分はあります。それに対しては「ごめんね」としか言えないし、それでも蓮ノ空が好きという気持ちに嘘は無いとしか言えません。
しかし僕は、自分のキャパという枷が無ければ、蓮ノ空のエンタメに加点方式で向き合おうと思えなかったかもしれませんから、キャパが少ない今の自分が出会えた運命として、今の蓮ノ空との関係を愛おしく感じつつあります。
こんな 私でいいのかな… (I’m worried)
背を向けたら 独りと変わらないねきっと
信じるしかない ここに在る自分を
それがきっと君のことを信じるってことだ
Reflection in the mirror/スリーズブーケ
全部の活動は追いかけられない不甲斐ない自分だけれど、いや、だからこそ、新しいラブライブ!の世界を蓮ノ空と見られるのではないかなと期待しています。