ねっちりとした今日までの時間

ラブライブ!シリーズやその他のことについて書こうと思います

ミクロスコピック蓮ノ空

 蓮ノ空の活動をこれまで追いかけてきて、自分が抱えていた疑問と、その疑問がそもそもお門違いだったということに気付いたので、筆を執っている。

 

 

コンテンツの焦点

 今更かもしれないが、蓮ノ空というコンテンツが焦点を当てているのは、「いつだって今」なのだと思った。明日になったら「今」が昨日になるのではなく、明日になっても「今」なのだと。

 

 従来のラブライブ!シリーズでも「今」というのは主要テーマの1つではあったのだが、要するに程度の問題であって、蓮ノ空はその「今」のスケールが一層狭いのだと思う。

 

 これまでのシリーズでアニメーションを通して描かれた「物語」は、リアルタイムで視聴したとしても3ヶ月で一区切りするもので、3ヶ月後にはその1クールで描かれた「物語」を振り返ったり総括したりして、俯瞰的に考察することができる。

 

 一方、蓮ノ空が展開してきた「活動記録」は、一区切りが現状無い。だからいつまで経っても総括する事がないし、「あのシーンにはこんな意味があったんだ」と振り返ることが難しい。始まってから8ヶ月以上経っているのに、例えば3ユニットが同時に地区予選を突破したことにどんな意味があるのかなんて、今の僕にはわかりっこない。「意味」なんてものはいつも後になってから分かるものだし、「意味」があるから「物語」として価値を持つ。だから、その意味で「活動記録」は「物語」とは呼びにくい。

 

 そう思うと、蓮ノ空というコンテンツが我々に見て欲しいのはやはり「今」なのだなと思えてくる。言ってしまえば、「振り返るのなんて後だ」という気概すら感じる。

 

 そして、これこそが僕が引っかかっていたわだかまりの正体だった。

 

 ラブライブ!シリーズのアニメーションで語られる「物語」に馴染み過ぎた僕は、蓮ノ空の活動記録にはどんな意味があるのか、どんなメッセージが込められているのか、それを楽しみに追いかけていた。けれども、開始から8ヶ月経ったにも関わらず、僕が期待していたものは見えてこなかった。当然である。蓮ノ空というコンテンツは現在進行系で「今」に焦点を当てているのだから、「結局何が言いたいか」を求めていた僕の方がそもそも一人相撲をしていただけだった。そういう結論を求めるのは今じゃないんだと思う。

 

 ラブライブ!シリーズの1作品ではあるけれど、同じ楽しみ方しかできないのも健全ではないと思うから、なるほどねぃ(沙知先輩)と、心底納得している。

 

 そして従来シリーズの結論を知っているからこそ、蓮ノ空の結論を無意識に求めていた自分へのアンチテーゼのようにも思えて、今の自分が失いつつあったミクロな視点を取り戻させてくれるコンテンツなのかもしれないと思う。マクロな視点で高みの見物ばかりするんではなくて、ミクロな視点で、1つ1つの彼女たちの想いに向き合ってみなさい、という蓮ノ空のメッセージを感じ取った。*1

 

 

北陸予選

 こんな風に考えを改めたきっかけは、北陸予選に向けて意気込む彼女たちの活動記録を読んだことであった。

 

 僕はこれまでずっと、彼女たちがラブライブ!で「勝たなければならない理由」とは何なのか、について考えていた。それが「勝てる理由」ひいては「蓮ノ空の強み」になると思ったからだ。ところが活動記録では、大会に向かうグループのお話というより、必ずしも大会とは関係がない一人ひとりの抱える問題を軸に展開されていて、従来シリーズのグループが大会に臨む際の「世界の流れが味方をしている疾走感」をあまり感じていなかった。

 

 それは物語らしくはなくて、だからこそリアルだなと思った。個人という狭い世界の中で感情の起伏はあるけれど、文字通り世界を巻き込むような伝説的なストーリーではなくて。その意味でごく普通で、私達が普段生きる時の視点をそのまま持ち込んだような落ち着きを感じた。

 

 そしてそのために、僕は不安に思った。本当に勝てるんだろうか、と。いわゆる勝確パターンのようなものが見えづらかった。こういう形で不安を感じることができるのも、蓮ノ空の狙いなのだろうかという気がするし、なるほどねぃ(略)となってしまうのである。

 

 逆の話をすれば、なぜこのユニットが勝てたか、なぜこのユニットは負けたか、ということが私達に明確に伝わってこなかったとしても、それでも構わないということを承知しておくのが良いのではないか、と思う。

 

 本当の意味でリアルさを意識するのなら、なぜラブライブ!で勝てたのか、あるいは負けたのかなんて、大会が終わってもはっきりしないとすら思う。結局人間が審査員をやっているコンテストなのだし、審査員の好みにも左右され得る。しかも僕らはラブライブ!の採点基準をよく知らない。従来シリーズで「勝たなければならない理由」が「勝った理由」になるのは、後から振り返っているからである。

 

 しかし、蓮ノ空が追求するリアル性に重きを置くのであれば、「皆との繋がりを守りたい」という「勝たなければならない理由」が「勝った理由」になるとは言い切れない

 

 その時その時で振り返るのは構わないのだと思うが、恐らく蓮ノ空はずっと今に焦点を当てていくから、注目すべきは「理由」とか「意味」みたいな振り返った時の産物というよりは、すぐそこにある「感情」の方なのではないかと思う。

 

 「物語」には往々にして「伏線」とか「文脈」が求められる。だけど蓮ノ空は「記録」なのだから、「なぜ勝てたのか」よりも「やったー!!」とか「おめでとう!!」の方を大事にするのが健全な見守り方なのだろうと思う。*2

 

 こういう見守り方は昔は得意だったはずが、ラブライブ!人生を破壊色んなことを教えてもらってから、正直苦手になってしまった。だから人によっては「ミクロな視点と感情を大事にしよう」なんて言われても、それの何が難しいか分からないと思うかもしれない。「勝たなければならない理由」がむしろ感情を焚き付けるのだと思うかもしれない。

 

 でも少なくとも僕の頭の中では「勝たなければならない理由」=「勝った理由」の方程式がノータイムで成り立ってしまっていたから、当初はずっこけてしまった。だからこそ、僕にとっては「まずは感情に丁寧に向き合うこと」を大事にすることで、苦手意識を持っていた自分を変えられるチャンスだと思ったから、蓮ノ空の6人をずっと見守ってきた。

 

 そして、北陸予選に臨む彼女たちを心配する自分の気持ちに気付いた瞬間、4月から積み重ねてきた彼女たちとの時間に意味が生まれた予感がして、嬉しくなったのである。

*1:言ったそばからメッセージというマクロなワードを使ってしまったが、こういう指針が無いと動けないのが自分だから仕方ない気もしている。

*2:意味を考えるな、という話ではなく、あくまでそういう傾向が強いのだろうということ。