ねっちりとした今日までの時間

ラブライブ!シリーズやその他のことについて書こうと思います

Liella!にとっての虹

 こんにちは、ネッチです。

 

 今回はLiella!の楽曲に何度が登場するワード「虹」に関する記事になります。

 

 これまでのラブライブ!の各シリーズにおいてもそれぞれ固有の意味付けがなされていると思う「虹」ですが、Liella!にとっては「虹」とはどういうものか、主に歌詞に注目しながら考えていきたいと思います。

 

 

「虹」が含まれる歌詞

 Liella!にとっての虹とは何か。あれこれ妄想することは簡単ではありますが、それなりに根拠が欲しいなと思い、まず「虹」が含まれる歌詞をまとめてみました。

 

あの虹もこえて ぼくらなら 行けちゃいそう!
常夏☆サンシャイン

・浮びあがるよ Dream Rainbow
・たとえばそう 夜空にも虹が架かる
・抱きしめていた Dream Rainbow
・虹がほら 大空に広がってゆく
Dream Rainbow

虹を信じて咲くよ
Memories

涙あがったら 夢の虹 架かるのさ
Message

雨の後の虹
LIVE with a smile!

 

 「虹」という単語が表すものは少なくともこれらのフレーズと整合するものであるはずだ、と思う訳ですが、言葉でまとめると、虹は「越えていける可能性のあるもの」「浮かび上がるもの」「夜空や大空に架かるもの」「抱きしめるもの」「信じるもの」「涙や雨の後に架かるもの」ということになりますね。

 

 そして、もう1つスーパースター!!における虹の描写として、What a Wonderful Dream!!のMV内に登場する虹が挙げられます。

 

【Music Video】Liella!「What a Wonderful Dream!!」より

 

 虹(僕にはそう見えます)が、これ見よがしに新国立競技場とともに映し出される、こんな描写に意味が無いとはあまり思いたくないわけですが、2ndライブの幕間映像からも察するに、Liella!にとって新国立競技場は実現させようとしている夢の1つなのだと思っています。

 

 というわけで、これまでスーパースター!!で登場した虹の描写を拾い集めてきましたが、現時点ではこれらの描写に整合する意味付けであれば「虹」は何であると考えても良いはずです。

 

 が、ここで読者にお任せ、と放り投げるのも無粋ですので、僕があれこれ悩んだ末に出したとりあえずの結論を示しておくと、それは「虹」=「可能性の象徴」なのではないかな、と。

 

 雨に打たれても【可能性】を信じて咲く(=行動を起こす)。皆と一緒であれば例え夜空(=ネガティブイメージの下)であっても【可能性】は浮かび上がる。涙の後に【可能性】は生まれる。新国立競技場は夢物語ではなく【可能性】の1つ。僕らならその【可能性】を越えていくことだってできるはず。という様に、これまで見てきた虹の描写に上手く整合すると思います。*1

 

 また、これは後出しジャンケンですが、Liella!というグループ名の由来にはアニメで示された通り、「つながったり、結ばれていく中で、私達自身想像しないような色んな色の光になっていく」という想いがその根底にあり、いろんな色の塊である「虹」が、想像しなかったいろんな「可能性」を象徴していると言えるのではないかな、と思うわけです。

 

 

Dream Rainbowについて

 知り合いと話していて、Dream Rainbowってあまりピンとこないよね、と話題になったりすることがあったので、ここでもう一度考えてみたいなと思います。

 

心がはじけて飛んだ なんでだろう?
走ってみなくちゃ分からない
うずくまったままの不安とびこえ
手をつなぎ 君と風になる
Dream Rainbow

 

 まずここで特筆すべきは「走らなきゃわからない」の哲学だと思います。「未来は風のように」でも「向き合えばきっと分かる頑張る意味」と歌われているし、「トゥ トゥ トゥ!」の「考えるよりやってみる方がもっと大事」も同様だと思います。やる前からやる意味が分かっていれば勝手にやればいいだけで、やる前にやる意味が見えづらいからこそ皆立ち止まってしまうのだと思います。優しくない構造だとは思いますが、やはり真実だなと感じる瞬間は僕自身あるし、そんな時に助けてくれるのが仲間の存在であるわけですね。

 

水玉模様みたいな白い雲
見つけて笑った (見上げて笑った)
胸が高鳴った (急に高鳴った)
はじまりの音がする
Dream Rainbow

 

 水玉模様というワードが気になりますね。水玉がシャボン玉や雨粒をイメージしていて虹を暗示している、という説明はできますが、結局大切なのは「雲を見つけて笑う」という、傍から見れば何が面白いのか分からないことでも笑い合えることが大切なのだ、というメッセージだと思います。そんな何でもないような事にこそ始まりが潜んでいるのだと考えることが重要で、何かドラマチックな始まりを期待しているだけでは何も始まらないわけですよね*2

 

(いまだ!出かけよう)
空に指先で弧を描くのさ
浮びあがるよ Dream Rainbow
目で見るだけじゃもう足りないよ
きらめきを足そう 自由に
Dream Rainbow

 

 空に指先で弧を描くと言っても、指先は空には届かない、というイメージが個人的にはあります。それでも、届かないからと言って目で見ているだけでは満たされない。

 

 きらめきを足すというのは「自分が変われば世界が変わる」という哲学だろうと思います。世界に対する自分の見方が変われば、可能性の虹は浮かび上がるし、自由にきらめきで溢れさせることもできるのだと思います。

 

(君に出会えた)
声を重ねるたびに感じてる
無限にふくらむときめき
行けるよ だって君がいっしょだから
たとえばそう 夜空にも虹が架かる
Dream Rainbow

 

 とは言え、自分が変わることは簡単なことではありません。この節の冒頭でも書いたとおり、そんな時に助けてくれるのがやはり仲間の存在なのだと思います。しかも、それは希望の太陽が見えない不安な夜空であっても可能性を発見できるほどの力が生まれるのでしょう。

 

 ここまで来れば2番A・Bのメロディーで「仲間」について歌っているのもうなずけることと思います。ひとりぼっちじゃないこと、それが夢を追いかける上で大切なのはアニメでも何度も示されていますね。

 

 

さいごに

 この記事のまとめとしては、「虹」=「可能性の象徴」であり、Dream Rainbowは夢のように素晴らしい可能性、あるいは単に夢の可能性といった意味になるでしょうか*3

 

 また、Wish SongのMVには溢れんばかりのシャボン玉が登場しています。ラブライブ!サンシャイン!!の2期3話でも虹とシャボン玉がセットで用いられていることからも、何となく繋がりを感じていたりします。どちらのシリーズとも「虹」に同じ意味付けをしているかはさておき、Wish Songのシャボン玉は、Liella!5人の最初の一歩から始まる可能性に溢れた未来を暗示しているのかもしれない、と想像しています。

 

 今回考えた虹の解釈は、今後新しい描写が追加されればまた考え直す必要が生じるかもしれませんね。そうなったら、またその時考えることにしましょう。

 

 

 

*1:涙の後に可能性が生まれる、というのは一見すると不思議に思えるかもしれませんが、困難や挫折を経験するからこそ、次にどう行動するべきかが見えてくるものだと思うし、そこからより輝かしく譲りたくない未来の可能性に繋がっていくのだと思います。もしくは、涙の後という苦しい時期にこそ、新しい可能性が芽生えるのだと言い張ること自体に意味がある、とも言えるでしょう。

*2:ありきたりないまでも 最高の「いま」さ(この街でいまキミと)

*3:ここでのDreamは名詞の形容詞的用法かなあとか思ってますがどうなんでしょう