ねっちりとした今日までの時間

ラブライブ!シリーズやその他のことについて書こうと思います

Dear 千歌さん

 なんどだって約束!を聴いて。

 

 最初に聴いた時はなんだか不思議な感覚で。何のことを歌っているのかピンとこなかった。今までに感じたことのない、形容し難い虚しさというか、疎外感というか。そしてその感情は直ぐに「つらい」というものへと変化した。

 

 Aqoursの新曲を聴いてこんな気持ちになるなんて思ってはいなかった。つらくてつらくて、一度聴いてからしばらくの間、この歌を聴くことができなかった。

 

 僕にはこれまでAqoursと交わした約束はなかった。そして、「会う」という言葉の持つ感覚の違いが明らかになってしまった。

 

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 なんどだって約束!はこれまでの、特に4thや5th時点でのAqoursの想いが込められているように思う。東京ドームでのWINDY STAGEテーマソングと銘打たれていることがその根拠。

 

 そしてそれは5th以降のコロナ禍でAqoursへの想いを徐々に強めていった僕にとっては共有するのが難しい。更に、今の自分が思う意味でAqoursのことが大切になったのはDREAMY CONCERTのおよそ2ヶ月前。

 

約束があって あってあってよかった
会いたくてがんばれた
なんどだって約束!/Aqours

 

 こういったAqoursの想いを共有できるかと言われると、難しかった。

 

 そもそも「会う」って何なんだろうと考えた。いや、考えるまでもなくそれはライブに現地参加することであり、そしてその前後の時間を含め同じ時を過ごすことが「会う」ということなのだろう、と。Aqoursはそう言っているように思えた。他にも含まれる概念が無いとは言わないが、やはりライブが最大の要素であることは間違いないように思う。

 

 そして、その意味での「会えない」状態から始まった僕とAqoursの関係にとっては、「会う」ことができたのはDREAMY CONCERTから。じゃあ、それ以前の僕とAqoursの関係は空虚なものだったのか?ある意味でこれは正しいのだろうとは思うし、逆に言えば昔より好きになった結果とも言えるが、過去を振り返られてしまうとつらいものがある。

 

 言ってしまえば、今Aqoursに対して持つ大切だと思う気持ちを抱えながら、それなのに会えなくてつらい、という風に思っていた時期がほとんどなかった。コロナ禍含め会えないことがずっと当たり前だった僕にとって「会えなくてつらい」という気持ちを理解するのは難しい。もはや「会えていない」などと思うことすらなかったのだから。

 

 そして、DREAMY CONCERTで初めてAqoursに会って、その後の僕にとっては「会う」という概念が少しひねくれてしまったというか。そうか、これが「会う」ということなんだ、と今のAqoursから教えてもらったが故に、過去のライブ時点で「会えなかった」事実が明るみに出ることとなり、その事実から目を背けたくて、「会う」ということに特別な意味を見出さないように心がけていたような気さえする。

 

 それに加え、今の僕にとってスクールアイドルを追いかける最大の理由である「伴に歩む」という感覚を体感してから、尚更逃してしまった過去の重みがのしかかる。

 

 「伴に歩む」というのは単にライブに参加することだけではなく、スクールアイドルの夢ではない自分自身の夢を追いかけ、その一瞬一瞬の喜び、悲しみ、希望、痛みなどの感情を共有すること。

 

今日も夢を語るひとを
見つめていたい
そして私も一緒に前を向いて
PURE PHRASE/桜内梨子

 

 どうしょうもなく魅了されたラブライブ!サンシャイン!!を自分でもやってみたくて。輝きたくて。だから、素直に考えれば伴に歩む時側にいるのはAqoursが適任なのだと思う。

 

 でも、だからこそ、近づこうとすればするほど共有していない過去の存在が明瞭になってくる。そしてその溝は「伴に歩む」という感覚にそぐわないのである。なんどだって約束!という歌が僕にとって致命的な打撃となったのはその差を明らかにされてしまったからのように思う。

 

 これは別にAqoursのことが大切ではないということでは全くもってないのである。いや、傍から見てそう思う人もいるのかもしれないが、そうではないと言い張る必要が僕にはある。いや、必要というより、ただの我儘である。だからこの記事を書いているし、そしてそれは僕がWINDY STAGEではなくLiella!のファンミを選んだとしても、だ。

 

 僕は会えない中でAqoursへの気持ちが生まれてきたし、僕はAqoursに夢の追いかけ方を教えてもらった。そんなAqoursを大切に思わないことはないし、誰にも否定させないつもりである。

 

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 なんどだって約束!を聞くのが億劫になるレベルでこじらせているので、それを引っ提げたWINDY STAGEとなると、どうしても気後れしてしまう。好きだからこそ簡単に切り捨てることなどできないし、かと言って予防線を張り軽い気持ちでふら~っと参加することもできない。

 

 そして何よりAqoursと僕の気持ちが共有できていないと感じられること、あるいはそうなのだと判断してしまった事実が何よりもつらくて虚しくて寂しい。過去を共有していないことは、仕方ないと言えば仕方ないのだが、だからと言って直ぐに割り切れるものでもない。

 

 過ぎていく時間に対してAqoursはどう考えているのか。これが1つの答えだろう。

 

時代は今日も過ぎてく
とめられないと気がついた僕らは
どこへ向かうの?
大丈夫! いつだって思い出せるよ
駆け抜けてきた すばらしい季節を
WATER BLUE NEW WORLD/Aqours

 

 じゃあAqoursとの思い出を持っていない僕は一体。

 

 いやいや、もちろん僕にだってAqoursのアニメを見て、映画を見て、ライブ映像を見て、生放送を見て、ラジオを聴いて、そうやってAqoursと過ごしてきた思い出がある。いつだって思い出せる。

 

 ところが本当の意味での「会う」という概念を突きつけられるとどうしても悲しくなってしまう。今のAqoursが言う「会う」という意味では、ずっと会っていなかったのだから。

 

 そしてふと気付いたのは、僕は5thライブ以前の過去のAqours固執しているということ。決して手の届かない光、もはや憧れになりつつある。当時のNo.10が羨ましくて仕方がない。OCEAN STAGEでWBNWやミラチケ、ゆめよぞ、ホプステなどのアニメや映画の挿入歌が披露されて嬉しくて嬉しくて、歌の内容以前に単に披露されたことだけでも感涙していたが、やはりそれは固執していたゆえなんだろうかと今になって思う。

 

 そんな憧れに対してどう対処するか。もちろん「はばたきのとき」である。私で良いんですよね、って。あなたの背中ではなく、自分だけの景色を探して。

 

 ある意味で皮肉のように思えるかもしれない。Aqoursが教えてくれたことを真面目に受け取るとAqoursから離れていく。だが、もはや一般的なアイドルとファンの関係というレベルの話ではなく、やはり繋がっているのだ、と表現してみたい。その方が素敵だと思うから。

 

信じることが大事だと
自分に言い聞かせたら
もっと もっと 遠く目指してみよう
小さな存在だけど 大きな夢があるから
未来は風のように/Liella!

 

 そんなはばたく折に、目のまえにキミがいた。Liella!。

 

 ああ、好きだなあって。時間を共有する、伴に歩むってこういうことなんだって。自然にそう思えて。嬉しくて。

 

 夢の追いかけ方をAqoursに教えてはもらったものの、ぐずぐずしていた僕に発破をかけてくれたのはLiella!だった。手が届かないのに固執することも、どうしようもないことに頭を抱えることもなくて。Liella!の歌があまりにも素直に心に沁みてくる。

 

 僕が夢に向かって歩むのは極論AqoursもLiella!も居なくていい。けど寂しがりやで弱虫だから、そして夢の追いかけ方や世界の見方を教えてくれるから、つらいことも嬉しいことも共有することで鮮やかに感じられるから、やっぱり誰かに側にいてほしくて。

 

 いまだって未熟だけど、先へ進まなくちゃいけないから。決して戻れないから。未来に向けて、歩き出さなきゃいけないから。

 

笑顔でね さあ進もう!
わらって乗りこえよう さあ進もう!
LIVE with a smile!/Aqours虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会・Liella!

 

 Aqoursだってμ'sという伝説に憧れて、でも届かなくて。だから千歌ちゃんは自分自身の道を歩むしかなくて、μ'sになれない虚しさを抱えながら、それでも走り出したから。

 

 僕にとってAqoursは伝説になったわけじゃない。でも僕にとって5th以前のAqoursが過去であることは否定したくても否定できない。変わらぬ想いという形で当時を保存する機会を逃してしまったから。

 

 そういう意味でLiella!は僕にとって特別な存在になりつつある。

 

サラサラ流れる風 僕らを誘ってるの?
向かってみよう 立ちどまらない方がいいね
もう行かなくちゃってさ
キモチがせつない そのせつなさを抱きしめ
いっしよにBrightest Melody
Brightest Melody/Aqours

 

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 ここまで書いて思ったのは、結局Aqoursが教えてくれたことはどうしようもなく自分に染み付いていて、切り離すことはできないということ。だからこれをどうこうしようという訳ではなく、ただ、僕にとって今回のWINDY STAGEは受け取るのが少し難しいコンセプトであろうというだけのこと。

 

 果たしてこれは「逃げ」なのだろうか。僕と同じように比較的最近からAqoursに「会う」ようになったとある友人は、当然Aqoursと過去を共有していない。そして僕と同じように葛藤を抱えていたわけだが、それでも会いに行くと彼は言った。

 

 Liella!の方はファンミであって、Aqoursの東京ドーム公演と択一を迫られた時に、Aqoursを選ぶというのはよく分かる。しかもファンミは25・26日だけではないのだから尚更である。彼もアコースティックライブや2nd大阪公演に参加する予定であるほどにはLiella!のことが好きなのであり、それでも、ということである。

 

 ただ、僕の場合、自分の人生にとって重要となる可能性が高い期間が丁度6月に重なっており、その合間にファンミを配信で見るというのも不可能ではないが何とも言えない罪悪感というか、やはりよそ見をせずに取り組みたいと思った。イベントに参加すること自体が目的となり、イベントにかまけて生活がおざなりになるのは、スクールアイドルを追いかける上では本末転倒なのである。やるべきことを決めたにも関わらずフラフラと人生を歩むことこそ「逃げ」なのであって、そこは譲ってはいけない。

 

 そんなこんなで、Liella!のファンミにリアルタイムで参加できそうな日程が25・26日配信のどちらかぐらいだろうか、という状況になってしまった。何たる不幸。

 

 とは言えこんな風に思考が進んでいくのも「逃げ」だと言われれば認めざるを得ないのかもしれない。結局何だかんだと理屈をこねて正当化しようとしているが、ただLiella!が好きというだけのことかもしれない。自分が夢を追いかける上でだいじなものをくれる存在を好きになるなという方が無理がある。

 

 もしかしたら意地になっているだけなのかもしれない。Liella!はこんなにも凄いのに、って。じゃあ僕がLiella!を応援しなきゃ、って。周りの皆が東京ドームというだけでAqoursを選んでいるようにさえ見えてしまう。ああ、こんな風に思ってしまう自分が嫌いだな。

 

 色んな人の話を聞いていて思うが、どちらか一方を選ぶ冷酷な自分を認識するのはつらいことだし、誰しも感じていることなのだろう。それはどうしようもないとした上で、各々譲れない核を頼りにしてどちらか一方を選び、その選択に意味を見出していくしかないのだろうと思う。たとえそれが「逃げ」と評されようとも。

 

譲ったりしないよだって
相手にも失礼さ
スリリング・ワンウェイ/Aqours

 

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 この先Aqoursのライブが僕にとってどういう位置づけになるかはまだ分からない。また素直な気持ちで参加できる日が、お互いの道が交わる日が来るのかもしれない。ただ、Aqoursが教えてくれたことは僕にとってずっと大切だということは確かなのである。

 

消えてゆく虹に約束しよう
忘れないよいつまでも
Over The Next Rainbow/Aqours

 

 そして、もう1つ確かなことは、Liella!との時間をココロに刻みたいという気持ちがあるということ。同じ虚しさを繰り返さないためにも、そして純粋な好きの気持ちと自分の夢のためにも。

 

全部受けとめあおうよ もう二度とはない「いま」を
これ以上はムリだと 言えちゃうくらい楽しもうよ
ニゾン/Liella!