僕にとってAqoursは学校の先生のような存在です。
輝き、夢、本気、運命、勇気。色んなことを自分の走る姿で以て教えてくれました。
かつての自分は、挑戦を少なくして、何事もほどほどで生きていこうと考えていました。その方が悲しい思いをすることが少なくなるだろうと思っていたからです。ほどほどで生きていれば、もちろん大きな何かを成し遂げることはないけれど、趣味があれば楽しく過ごせるし、平穏な人生が自分には合っているだろう、って。
だから、Aqoursのことを「怖い」と思ったこともありました。厳しい現実を前に挫折を繰り返しながら、それでも走り続けるAqoursのことを。
勇気をだしてみて
本当はこわいよ
僕だって最初からできたワケじゃないよ
勇気はどこに?君の胸に!/Aqours
このフレーズに向き合った瞬間、僕の中でのAqoursへのイメージがグニャグニャとうごめいたのを覚えています。Aqoursだって怖かったのかな、そうなのかな、と。
そんな風に出会って、Aqoursに手を差し伸べてもらったから、僕も自分の夢を見つけて、追いかけて行きました。苦しむことも多かったけれど、その分叶えた時の喜びは一層大きなものになりました。
そんな中で気付いたことがありました。僕のハートの磁石が向く先は、今のAqoursのそれとはずれているんだろう、ということ。
消えてゆく虹に約束しよう
忘れないよいつまでも
Over The Next Rainbow/Aqours
立ちどまらない方がいいねと教えられていたから、せつなさを抱きしめて、どこへ行っても忘れないと誓って。
そうしてAqoursのライブに行かなくなって1年が経ちました。
全然忘れていませんでした。サンシャイン!!に教わったことは僕の中でずっと生きていました。夢を追いかける時には元気を分けてもらい、打ち砕かれた時には夢は消えないと言われ、叶えた時には「たくさんがんばってきた時間が愛しい」の言葉が蘇りました。
Aqoursの背中をずっと追いかけて、ダイヤさんのように凛々しくなりたくて。だから今も自分の夢を追いかけています。少しは強くなれた気がするけれど、やり残したことなどないと言える日はもっとずっと先のことです。
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この1年、Aqoursのライブを全て横目に見ながら見送ってきました。そしてそれは今度のWhite Day Concertも同じです。
僕がサンシャイン!!に初めて触れたのは2019年。5thライブが終わって間もない頃でした。
Aqoursのことを知れば知るほど好きになって、いわば恋をしていました。そして知れば知るほど共有できなかった時間の重みに苦しみました。共有してきた時間の価値と、共有してこなかった時間の残酷さを教わったのは他ならぬAqoursの歌からでした。
約束があって あってあってよかった
なんどだって約束!/Aqours
じゃあ約束をしていなかった自分は?
共有して来なかった時間のことを、本当に、本当に、認めたくなかった。ずっと目を逸してきた。事あるごとに語り継がれる3rdのバク転も、4thの東京ドームも、5thのAqours Rainbowも。Aqoursと伴にイマを生きていけば良い、そう言い聞かせて来ました。
そんな僕にどうしようもなく突き刺さってしまったのは「なんどだって約束!」でした。約束があって本当によかったと思う人がいれば、約束がなくて最悪だと思う人がいます。
もちろん、くやしい日々を重ねたAqoursがこの歌を歌う事にとてつもない価値がある事は理解しています。約束がなかった人の存在にも関わらず、約束があってよかったと歌うことの意味はやはりあります。僕個人にとって、刃になってしまっただけのこと。
そうして僕は、今度は自分の意思で、2度目の東京ドームを横目に見送りました。
実際にどれだけの時間を共有したか、ということより、時間と思い出を共有できていると「自分が思えるかどうか」、そして「その如何をどう受け止めるか」。それが本人にとって意味を持つのだろうと思います。共有した時間を持っていなくても、東京ドームに足を運んだ人の存在も知っています。
今だから言語化できることですが、僕には、Aqoursと時間を共有できていないと感じる虚無と苦しみを抱えながら、イマのAqoursを愛していくことができなかったのだと思います。好きにはなれても、追いかけて走っていくことはできても、愛するという感覚には結びつかなかったのだろうと思います。
どうしてあなたに出会ったのか(熱く胸がときめいて)
たしかな繋がり感じてたよ(嘘じゃないと信じたいんだ)だけど幻は打ち砕かれたね
祈りも恋もDaydream(Daydreamer)
夢は夢でしかないと
嘆きの果ての(運命は)変わらずに今は Lost love
Daydream Warrior/Aqours
ここで他グループの話を持ち出すのは、Aqoursへのメッセージとしては不本意ではありましたが、僕自身を語り、真正面からAqoursへの感謝を述べるために避けられないことだと思ったので、Liella!の話を少しだけさせていただきます。
共有できなかった思い出に苦しみながらイマのAqoursを愛していく選択を取れなかったのは、同時期に、Liella!と思い出を共有できているからこそ感じられる、底知れない安心感と嬉しさを抱きしめながら、愛せることの素晴らしさを実感していたからでもあります。
実質的にAqoursが1番愛している存在ではなくなっていく寂しさと恥を抱えながら、心はどうしようもなくLiella!を求めてしまう。思い出を積み重ねて来た実感がこうも重みを持つとは。
結局は自分だけの輝きと同じで、自分だけの方法と在り方で関わっていくしかない。自分で自分の在り方を認められるようになるしかない。そう考えて、僕が僕らしくAqoursを好きでいたいから、Aqoursと距離を置くようになりました。
正直、Aqoursに甘えきっています。僕が距離を置いても、Aqoursはずっと走り続けてくれるだろう、と思ってしまっています。「先生」と形容する心理はここにも由来しています。
それでもいまだに、こうしてAqoursについての記事を書いているのは、Aqoursへの感謝の気持ちがあったからです。情けない姿を晒して、それでも表現しなければならないと感じたのはAqoursへの感謝です。サンシャイン!!を作り上げたAqoursに出会わなければ、僕はいま夢を追っていなかったかもしれない、そう感じるほど大きな輝きで魅せてくれたことは揺るぎない事実なのです。
だから、直接会いには行けないけれど、いや、だからこそ、Aqoursに1番届きそうなこの場を借りて、感謝の気持ちを届けたいと思っています。本当に、ありがとうございます。そして、ごめんなさい。
なんどだって約束!をいまだに素直な気持ちで聞けなくてごめんなさい。新しい約束をしに東京ドームに行かなくてごめんなさい。でも、その選択を決して後悔しません。教えてくれた通り、全てのことに意味があると感じられるから。愛する人達との時間の下で、僕のこころは輝いていると返事ができるから。
伝えたい想いがある ずっとあるんだよ
伝わってると信じたい
だって君の声が聞こえてくるから
胸に君の声が届くよ…
DREAMY COLOR/Aqours
距離が離れていっても、僕から伝えたい想いがずっとあって。胸にAqoursの声が届いていて、明日また生きるためにAqoursの歌が聴こえるから。だから、伝わってると信じたい。
この先もずっと先生に教わったことは忘れません。Aqoursの教え子として、真剣に、サンシャイン!!を心に抱きながら、この世界を生きて行きます。僕は僕の道を。楽しんじゃえばなんでもありだって、言ってくれたから。
叫ぶこころが(欲しがる輝き)
目の前で君に見せるんだ
MIRACLE WAVE/Aqours
幻日のヨハネ、とっても楽しみにしています。そしてこれからも先生の歌を聴かせてください。