ねっちりとした今日までの時間

ラブライブ!シリーズやその他のことについて書こうと思います

結びと居場所と正しさ

 今回は、ラブライブ!スーパースター!!における「結び」について、最近考えることをまとめようと思う。

 

 

居場所

 Liella!メンバーにとって、原宿ってどういう場所なんだろうかと思うことがある。メンバーにとって、原宿は「故郷」なのだろうか、どうだろうか、と。

 

 例えばAqoursにとって沼津や内浦は故郷だと表現しても何の違和感もないと思う。それと同じレベルでLiella!にとって原宿や渋谷は故郷かと言われると、当事者ではないから断言はできないものの、ちょっと違うのではないかと思ってしまう。

 

 少なくともかのんちゃんや恋ちゃんにとって生まれ育った地であることに間違いはないのだが、ここでは単に生まれ育った地であることを「故郷」と表現しているのではない。

 

 アニメ2期8話でステージ選びをする際に、原宿や渋谷にある有名な建物は、有名すぎて結ヶ丘を象徴するものではない、という話から、彼女たちは原宿という街と対等、あるいは代表しているという感覚がないのだろうと思う。これが、僕が「故郷」という匂いを彼女たちから感じない理由である。(微かに感じる点としては、かのんちゃんが路地裏の猫と戯れるシーンぐらいだろうか。)

 

 これは、都会のど真ん中にある結ヶ丘だから、そういう思想になるのは当然のことのように思う。

 

 最近、原宿の竹下通りでLiella!とのコラボがよく行われ、Liella!のイラストや楽曲があちこちに登場している。実際に足を運んでみると、道行く人々が皆Liella!のことを知っているかというと、全然そうではないのだろうなと個人的には感じる。

 

 つまり、Liella!がそこにあるのだけれど、皆がそれを認知している訳でもない。皆それぞれ目的があって、各々の興味や背景に従って街を歩いているように見える。実際、コラボ期間が終わっても、原宿の人だかりは相変わらずで、Liella!がそこにいようがいなかろうが、大して変化がないように思える。

 

 逆に言えば、Liella!を目的にして原宿に遊びに行く僕たちが、もともと原宿にあった雑貨屋さん、ブランドものの服屋さん、意識の高そうなごはん屋さん、ちいかわのコラボショップなんかにあまり興味を持たないのも、各々の興味に従って生きているからだと思う(僕だけ?)。

 

 そうやって、個を尊重して、ある意味無関心で、生きていくことができるのも、人が多い都会ならではかなと思う。

 

 それはすなわち、原宿という都会に居場所を見つけるのが難しくもなる、ということだろう。ぼーっとしていると、どこにも属さない人間になってしまう。

 

 そんな中で、Liella!と結ヶ丘が掲げる「結び」に目を向けると、その存在意義が浮かび上がる。すなわち、個が尊重される都会「原宿」において、人との結びは居場所を作るという意味で重要であるということだ。

 

 

正しさ

 「結び」の大切さは、居場所を作るに留まらないと思う。

 

 色んな場面や物事に対して、何が正しいのだろう、と考える人は多い。しかし、そもそも正しさを結論付けできるかどうか自体を考える人は比較的少ないと思う。

 

 つまり、考えても正しさが結論付けされないことをいくら考えても仕方がないだろうということ。スーパースター!!においても、かのんちゃんは留学すべきなのか、本当の歌とは何なのか、といった問題が提起されるが、そこに完全に客観的な正しさというのは存在しないのだと思う。

 

 留学せずにスクールアイドルとして喜びを重ねていくことが澁谷かのんにとっての幸せなのであれば、それは否定されることではないはずである。しかし、嵐千砂都は留学すべきと主張し、結果として澁谷かのんもその”正しさ”を認めた。

 

 ウィーン・マルガレーテが掲げた「本当の歌」と、Liella!が掲げた「本当の歌」。東京大会ではLiella!が勝利し、Liella!の思想が”正しい”と判定されたかのように見えるが、その”正しさ”を決めたのはそのパフォーマンスを見ていた人々である。

 

 この2つの例において、”正しさ”のその裏にはいつも周りの人間の思想や感情がある。それは客観的というより、同じ考えを持つ人々の集まりが”正しさ”を規定していると表現した方がふさわしいと思う。

 

 そしてその人々の集まりを生み出すのは「結び」に他ならない。だから、結びは大切なのである。

 

正解は探すんじゃないや
僕らがいま決めるんだね
TO BE CONTINUED/Liella!

 

さいごに

 余談だが、「未来の音が聴こえる」で優勝することができたのも「結び」があったからだろう、ということを考えたりもする。

 

 音楽学校に入学するためにラブライブ!に出場したウィーン・マルガレーテと、ラブライブ!に出場したことで才能を認められ、音楽学校に留学しようとする澁谷かのん。見方によってはどちらもラブライブ!を踏み台にして音楽学校に通うのだ、と捉えられそうだが、両者に対する評価が変わるのは、その評価をする人間がLiella!の結びの内側に取り込まれているからだろう。

 

 3rdライブツアーで、「未来の音が聴こえる」のパフォーマンスを見ながら、澁谷かのんは留学するんだな...と、しみじみと感動していた僕は、まさしく澁谷かのんの選択の正しさを支持する人間の一人だったのだなと、振り返って思う。

 

 また、2期放送後から、ちょこちょこストーリーの賛否について(未だに)騒がれることがあるように思うが、そういうのは往々にして感情的な賛否や趣味嗜好の問題に過ぎず、絶対的な正しさがあるわけではない。だから、何が正しいかを追い求めてもあまり意味がないと僕は思う。

 

 ただ、Liella!が「正解は僕らが決めるのだ」と歌う限り、スーパースター!!というコンテンツにおいて何が正しいかは明白である。Liella!の選択そのものだ。

 

 こういうことを言うと信者だ何だと言われてしまうが、「何のための正しさか」を考えれば、信者でも一向に構わないのである。評論家になりたいのであればそれはまずいと思うが、娯楽の(あるいはそれ以上の肯定的な意味を見出す)コンテンツとして追いかけるのであれば、Liella!が掲げる正しさに従っておくのはやはり都合が良いと思う。*1

 

 話が少々脱線してしまったが、1期2期通して「結び」の概念は大切にされてきたから、3期でも大切にされるのではないかと思っている。今後の展開が楽しみだ。

 

*1:ズバッと評論や考察をすることにかっこよさとか気持ちよさを見出すことは理解できるし自分もそういう部分はあるのだが、一方で真正面からただ純粋にコンテンツを受け取り楽しむことも大切にしたいなと、最近つくづく思う。