こんにちは、ネッチです。
今回は虹ヶ咲の桜坂しずくちゃんの楽曲「エイエ戦サー」について書いてみようと思います。
恐れ
この楽曲って、これまではなんとなく楽しい感じの曲なのかなと思っていて、実際それは間違っていないとは思うのですが、今回お話したいのはシリアスな一面についてです。
そもそもの曲の背景として、幕末に町の平和を守るために結成された浪士隊のお話であるということがキズナエピソードで語られていましたね。
浪士とは、主家を去った、もしくは主家が没落して、使える主君を失った武士のことだそうです。実際に江戸時代には浪士隊結成のために募集がなされていたとか。
そして、その浪士隊の立ち向かう先が「怪異」と呼ばれる人ではない存在だそうで。浪士たちが1つになり、人知れず脅威に立ち向かう、そんなストーリー。しずくちゃんはその浪士隊のまとめ役を担う先輩浪士で、先輩浪士は隊士の皆を大切に思うあまり、厳しすぎる規律を作ったり緊張感を与え、孤立してしまったそう。
描かれる内容としてはこれが全てなのですが、僕がどういう所に注目して解釈したのかという話をしたくて、それが「恐れ」なのです。
涙こぼれ 戸惑う事もあったよね
何よりみんなで 勝ち続ける為
そう 失う事恐れずに
浪士隊が涙をこぼす瞬間ってなんでしょう?
僕は、仲間が怪異に殺された瞬間、戦いに破れた瞬間などを思い浮かべました。実際生きるか死ぬかの切り合いをしている世界では、僕たち現代人の想像を絶する過酷な状況が広がっていると思うんですよね。明日遅刻したらどうしようとかいうレベルではないでしょう。
そして、先輩浪士を演じるしずくちゃんは「失う事恐れずに」と言っているんです。
まとめ役としての先輩浪士であれば、隊全体を良く見て気にかけていたことでしょう。そんなよく見てきた仲間が目の前で苦しんで、殺されていくなんて、悲しいなんてものでは済まないはずで。失った仲間はもう二度と帰ってこないわけです。
もうそんな思いをしなくて良いように、みんなで勝ち続けるために、「失う事恐れずに」と言う。いや、恐ろしくないはずがないんですよ。また仲間を失ったらどうしよう、そう思うのが当然ではないかな、と。
それでもまとめ役としては「恐れずに立ち向かえ」と言うしかないわけです。リーダーが止まってしまうと皆が止まってしまうから。
生まれた意味
時は流れて 振り返り
産まれた意味を知るの アァ
きっとね…これが私達の運命だから
絶対負けないわ
僕の想像に過ぎませんが、主君に仕えることができず浪士として彷徨ってきた自分達に、浪士隊として町の平和を守る責務が与えられたことは悲しいだけの運命ではないと思うのです。アイデンティティを与えられたというか。自分の役目があることは心の支えにもなると思うのです。
ただ、町の人達はそういった浪士達の活躍を恐らく知らないのです。「人知れず脅威に立ち向かう」と説明されていたので。
つまりは町の人達に感謝されることを期待しているというよりは、怪異に立ち向かうことが自分の生まれた意味なんだという風にまで思っているのだろうなと。もっと言えばそうなんだと自分に言い聞かせているように僕は感じました。「きっとね」はその証拠かなと。
逆に、これが逃れられない運命なんだと言い聞かせなければ逃げ出してしまうような、巨大な恐れを感じているとも言えるだろう、と。
ここまで来れば「絶対負けないわ」がどれだけの重みを持っているか想像に難くないと思います。「負ける」=「文字通りの死」である可能性と、「自分の生まれた意味を否定されるという死」がこの言葉に込められていると思うのです。「絶対」なんです。負けていいはずがありません。
今戦いよ さぁ、エイエ戦サー! (ホ戦サー!)
心まで強くなれ!
この「エイエ戦サー!」というちょっぴりユニークな掛け声も、怪異と生きるか死ぬかの戦いに対する恐れ、仲間を失う恐れ、このまま浪士隊として生き続けることへの恐れ、色んな恐れを乗り越えるために勢いを付ける掛け声に聞こえてくるのです。そして単に剣の技術を磨くだけではなく「心まで強く」ならなければいけないのです。
さいごに
歌詞の他の部分については、これまでお話した内容で同様に解釈できるかなあと思うので、ぜひ今一度曲を聴いていただければと。
時は流れて 振り返り
“本当のワタシ”知るの アァ
お願いよ…過去だけには囚われないで
一緒に歩きましょう
1つだけ付け加えるなら、「本当のワタシ」についてですね。色んな「ワタシ」がここに込められていそうで、現実を目の前にしてかつて浪士隊に志願した時の勇ましさを引っ込めてしまったワタシ、あるいは皆を想うあまり厳しくなりすぎた先輩浪士というワタシなどを僕は想像しています。
そして、しずくちゃん推しとして、僕が思うこの曲の最大の肝は、しずくちゃんが先輩浪士に本気で向き合い、その人生を生きているという点です。
単に先輩浪士の心情を想像する以上に、背景や境遇を自分自身に落とし込み、しずくちゃんの経験で以て先輩浪士であればどう行動し何を感じるかまで考えているのだろうな、と。
時にはきちんと向き合えているのか不安に思い、どうして自分が先輩浪士役に選ばれたのか悩み、それでも立ち止まらず、しずくちゃん自身が浪士として生きた結果感じたものを作詞として形にし、我々に届けてくれているのです。
だからこそ僕はこの曲の主人公が先輩浪士という演劇の登場人物であっても、そこに紛れもないしずくちゃん本人の息吹を感じるし、「本当の私を見てください」と言ったしずくちゃんはそれを望んでいる気がするのです。*1
とまあ、そういった演劇の要素が「エイエ戦サー」には多分に含まれているわけですが、4thアルバムの面白いところはそれがしずくちゃんに限った話ではないという点なんですね。
ミアちゃんとランジュちゃんはともかく、他のメンバーはそれぞれフィルムフェスティバルで披露する映画のPV活動として歌を歌っていますが、それぞれが映画の登場人物の人生を生きて表現をしていると思います。*2
4thアルバム全体の話まで広がってしまいましたが、しずくちゃん推しの1人としての視点を共有できたらなあ、と思った次第でした。
それでは今回はここまで。最後までご覧いただき本当にありがとうございました。ではでは。