こんにちは、ネッチです。
今回はダイヤさんのソロ曲「Perfect SEKAI」について考えた事を書いてみようと思います。
MOTTO-ZUTTO be with youが発売された記念かつお誕生日記念的な感じです。
願望
Perfect SEKAI。日本語で言えば「完璧な世界」でしょうか。
何を以て完璧か、これに対する答えを見つけることがこの歌を理解する1番の肝かなあと思います。
完璧で純粋なセカイなら叶いそう
心の奥底に眠る願いたちが
幸せに笑ってる 人々の顔が見たい
だからやっぱりもっと 強くなってみたい
I hope the world
完璧で純粋なセカイ"なら"叶いそう。これなら(なんとかかんとか?)叶いそうって言ってます。
名家の子女で生徒会長。やっぱりちゃんとしてます。ちゃんとしてる事をAqoursからも求められて。そうやって他者からの期待に応えてきたダイヤさんは、スクールアイドルとしての誇りを持って歌を歌うと言っていました。
もちろん、勝ちたいですわ。浦の星全校生徒の思いを背負ってきましたから。勝ってみせますわ。それと、Aqoursの黒澤ダイヤとして、誠心誠意歌いたい…。どこであろうと、心を込めて歌を届けるのが、スクールアイドルとしての私の誇りですわ!
ラブライブ!サンシャイン!!2期12話より
こんなダイヤさんが「完璧」という言葉を軽々しく使うとは思えないんですよね。
じゃあ、「完璧」とは何か、あるいは「完璧で純粋」とは何か。この歌の冒頭に少しヒントがあります。
完璧で純粋なセカイが欲しい
綺麗なものしかない場所
ありえない?ありえます!きっとある
綺麗なものしかない場所、だそうで。夢が叶う場所?傷付かずに追い求められる場所?
そんな場所ではなかったのが浦の星女学院でしたよね。廃校は避けられませんでした。
それでも、ありえます!と歌うダイヤさんの真意とは?
ここが解釈の分かれ目かなと思いますが、1つは果てしない願望を歌っているという解釈、もう1つは綺麗の解釈を少し変えての解釈。この記事では後者に焦点を当てて書いていきたいと思います。
完璧で純粋
幻想と現実の区別くらいついてる
疑ってるのですね
ありえない?ありえます!絶対あるんです
僕が後者の解釈で考えたいと思っているのはこのフレーズがあるからです。理想と現実なんて、ちゃんと弁えてますよって。その上で絶対あるよ!って歌ってるんです。単なる願望の歌として片付けてしまうには惜しい気がします。
ここでポイントになるのが「綺麗」の解釈かなと。傷付いた経験・どうしようもない壁にぶつかった経験、こういった夢物語からは程遠い"残酷な事実"="汚いもの"が存在していても、そこに立ち向かう姿・時間・心の動きは「綺麗」である、そんな哲学が彼女にはある気がするのです。
たくさんがんばってきた時間が愛しい
WATER BLUE NEW WORLD/Aqours
ぜったい消えないステキな物語
Next SPARKLING!!/Aqours
両方ともダイヤさんが歌っています。傷付きながらも走ってきたAqoursのキセキを「愛しい」とか「ステキ」とか表現するのがダイヤさんなんです。*1
「綺麗」をそういう風に捉えると、「完璧で純粋なセカイ」は、そういった精神的な側面から見て綺麗なセカイを表現しているのではないかなと。精神論であれば完璧になり得るというか、そうだと自分が信じる事が本質な訳ですし、これならAqoursのキセキを1つの根拠として絶対ある!と歌うことができますよね。
付け加えると、「純粋」というのは様々なマクガフィン(代替可能な仮想目標)を取り払ってなお残る心の動きを指しているように思えます。
踊れ 踊れ 熱くなるため
ひとは生まれたはずさ
MY舞☆TONIGHT/Aqours
スリリング・ワンウェイ
それこそ本望だね
生きる熱さを感じたいだけさ
スリリング・ワンウェイ/Aqours
もはや僕自身の思想かもしれませんが、結局色んな夢を叶えようと奮闘すること、あるいは夢のカタチを探すこと、もっと言えば生きることは、そうすることで発生する感情が得られることが前提なんじゃないかなって。夢を叶えても感動しませんよって言われたら、その夢叶えたくなりますか?僕はならないと思います。
こんなふうに考えると、「完璧で純粋なセカイ」は「ありえます!」と歌うことが、単なる神頼みの願望ではなくて、ダイヤさんの経験によって裏付けされた思想に思えてきませんか?
最低で崇高
あとはもう記事としては蛇足みたいなものですが、一応まとめておきます。
もっと信じて
自分信じて 進みましょう
ああ透明な意識で抱きしめる
あなたも分かるはず、と。
自分を信じることは、ダイヤさんが綺麗と形容する心の動きの1つだろうし、信じて進みましょうと促す必要があるのは、完璧で純粋なセカイの実現にはそれが不可決だからですよね。間違えてはいけないのは、口を開けて呆けていても手に入るセカイではないということですね。完璧≠夢物語。もしそうなら自分を信じてなんて言う必要はないでしょうから。
最低で崇高なリズムが好き
矛盾が純度を高めます
なかなか強烈な表現ですが、先程同様「最低」は「汚い」、「崇高」は「綺麗」と捉えれば良いかなあと思います。「崇高」からは誇り高さやその根拠となる努力がイメージされますが。
心の動きという綺麗なものの重要性を書いてきたつもりですが、それでもその心の動きには、夢や目標など汚いものを含む可能性のあるものが原因になってもいると思います。汚いが綺麗を生む、これが矛盾ってことだと思います。
さいごに
幸せに笑ってる 人々の顔が見たい
だからやっぱりもっと強くなってみたい
このフレーズにダイヤさんらしさが現れているなあと思います。もっと強く。この姿がやっぱり僕は1番好きです。お茶目な一面も人間味溢れる一面ももちろん好きだし惹かれていますけどね。
VOICE BRODY vol.2より
幸せに笑う人が見たいから強くなりたい、なんですよね。幸せに笑う人が見たいから幸せをあげたい、ではないんですよね。
強くなって、スクールアイドルとして歌を届ける。これが黒澤ダイヤに期待をくれる人々に対する恩返しであるとともに、その人々自身が望む夢・本当の幸せに繋がると考えているのではないでしょうか。ここにダイヤさんのスクールアイドルとしての誇りを感じますし、自分がやっている事に迷いがあってできる事ではないですよね。
僕もいつか誇りを持てる何かを、と思っていますが、なかなか道のりは長そうですかね。だから良いんだよって千歌ちゃんの声が聴こえてきますが。
それでは今回はここまで。最後までご覧いただき本当にありがとうございました。ではでは。