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「仲間」の概念とHurray Hurrayの話

 こんにちは、ネッチです。

 

 今回は虹ヶ咲の楽曲「Hurray Hurray」について考えてみようと思います。

 

大切なmy friends

 この曲を理解するにあたって一番大事だと僕が思うのは「不安」という感情です。

 

 虹ヶ咲において、「夢」を追いかける際の1番根本にある思想は「時にライバルとして、時に仲間として」であると思っていますが、Hurray Hurrayは全体曲の中でも特に「仲間」の側面が色濃く現れた楽曲になっていると思います。

 

僕らの友情どこまでも

 

 まずこのフレーズについて。表面的には「私達ズッ友だよ!」という想いが歌われているのは間違いないと思うのですが、じゃあそれを言葉にして歌う時にどういう感情を抱いているのかを考えると、そう単純でもないんじゃないかなと。

 

 友情って、”お互いが友達だと思っている”という、人間の感情(だけ)によって支えられているのかなと思います。したがって、もう友達として付き合う必要がないなと思った瞬間終わってしまう脆い関係とも言えるだろうなと。結婚と違って契約的な意味合いは(たいてい)ないでしょう。

 

 そう考えると、「僕らの友情どこまでも」と歌っているその背後には、「いつまで続くか分からない」とか「卒業したら途絶えるかもしれない」といった「不安」の感情が隠れている気がしてくるのです。

 

 もっと言えば、そういう「不安」があるからこそ「どこまでも」と願いたくなるし、「絶対絶対」と念を押したくなるのだと思います。

 

眩しい毎日だから

不安になるけれど

支え合ってきた僕らなら

(君ならば 僕らならば)

辿りつけるから信じて!

 

 そして、そういった不安は友情に対してだけでなく、未来に対しても当然生じるものだろうと思います。そんな不安に対する虹ヶ咲が示した対処法が「仲間」の概念なのだと思います。

 

どこに向かうか まだ分からないけど

面白そうな未来が待ってると

笑いあえる君がいれば嬉しい

NEO SKY, NEO MAP!

いつもみんないるから

夢と夢 繋いでいこう

虹色Passions!

みんなでいこう そうさもっと

ミライ奏でるよ

未来ハーモニー

一緒に叶えよう

Love U my friends

もう 一人の夢じゃないね

Just Believe!!!

思いきって Let's Go!

さぁ一緒に行こうよ

L!L!L!(Love the Life We Live)

 

 こんな風に虹ヶ咲の全体曲の随所では、未来に向かう時にいつも「みんな」の存在があり、一緒だから大丈夫という概念がしばしば歌われているように思います。*1

 

 そして、未来に向かう時の不安を「仲間」と共有することで前へ進む虹ヶ咲にとって、僕らの友情がどこまでも続くことは無くてはならないものなのでしょう。

 

未来への恐れ

 さて、ここから歌詞の細かい部分について見ていきましょう。

 

朝一番の教室に

差し込む木漏れ日映した

キラリ(キラリ)

机の落書き 笑ってる

 

 ここのフレーズに意味を見出すならば、「机の落書き」は「日常」もっと言えば「昨日と変わらない日常」の象徴なのかなと。朝一番なのに落書きが既に存在するのは、今日と落書きを書いた昨日が地続きであることを想起させるからです。

 

 その落書きが太陽の光に照らされて笑っている、ということから、そんな「日常」に笑顔が溢れるような、楽しさを見出しているというイメージが湧いてきます。

 

誰かがいつも側で

笑わせてくれてる事って

こんなにもかけがえないんだって

教えてくれた

 

 「かけがえがない」という言葉ってこれだけで沢山の物語が想像できるので個人的に大好きなワードなのですが、ところで皆さんは「かけがえがない」と気付く瞬間っていつだと思いますか?

 

 僕なら「それを失った時、あるいは失う恐怖を感じた時」と答えます。

 

 同好会初期メンバーにとっては衝突の結果実際に失った時間を思い浮かべるかもしれないし、そうでなくとも失う恐怖や不安を感じることがあるというのは先に述べた通りです。

 

眩しい毎日だから

不安になるけれど(それでも)

それ以上に幸せなんだ

泣けちゃうね!

 

 眩しい毎日とは、虹ヶ咲的な夢、すなわち自分自身で決めた「夢」を追いかけていることで実現されているのだと思います。そして、この楽曲を歌う瞬間というのは何かをみんなで成し遂げた直後であると考えています。*2

 

 この場合、眩しい毎日だからこそ(だったからこそ)、眩しくない明日=次の夢を決定できていない明日を不安に感じているのだと思います。

 

 しかし、夢を決めることは本来「不安」がつきまとうものだと思います。侑ちゃんがスクールアイドルフェスティバルを全うしたのも、音楽の道に進むための自信を持ちたかったから、と語っていましたね。

 

 でも、それでも、それ以上に幸せなんだ、という言葉は成し遂げた後の達成感・幸福感の大きさを物語っていますし、その感情を曲として記録する意味合いも含まれている気がします。

 

 こういった幸せと不安の両面感情。これを「泣けちゃうね!」以外に一言で表現する方法を僕は思いつきません。

 

Hurray! Hurray! 伝えたい

楽しもう All right?

支え合ってきた僕らなら

(君ならば 僕らならば)

辿りつけるから信じて!

 

 「Hurray! Hurray!」は激励の掛け声と考えて良いと思いますが、励ます必要があるのはやっぱり「不安」があるからですよね。

 

 夢を決定できていない明日は確かに不安だし、次の夢を決めることにも不安はつきものです。それでも「楽しもう」「辿りつけるから信じて!」と声を掛けてくれています。

 

絶対絶対 変わんない将来

僕らの友情どこまでも

一番隣って素敵だね!

向こう側へ行こう

このまま

まっすぐ走れ!

 

 僕たちの「仲間」関係は「絶対絶対」変わらない、そう願わずにはいられません。だって不安だから。

 

 「一番隣」に関しては侑ちゃんあるいはスクスタの「あなた」、はたまた3次元の虹ヶ咲ファン、メンバー相互に対して、などのイメージが湧いてきます。

 

Woh oh oh 届け Woh oh oh 未来へ・・・

 

 届ける”もの”が何であるかは直接は歌われていませんが、未来へ届けたいものと考えれば、例えば「明日が幸せであることの願い」という感じでしょうか。

 

 さて、ここからは歌詞2番ですが、特に書き留めたいポイントに絞って書いていきます。

 

放課後 チャイムが鳴って

お決まりの合図「どこいこう?」

フワリ(フワリ)

青い風の匂いがした

 

 「お決まりの合図」というのも今が、少なくとも昨日と同等には幸せな日であることを確認して安心するための言葉なのだと思います。お決まりでない行動を起こすことは、それぞれが決める夢によっては発生し得ることですが、今はその時ではないようです。

 

 そして、ここでの「風」は「変化」「未来」の象徴かなと思っています。風はある特定の場所には留まらないし、(空気が)留まらないことそのものが風でありますから。

 

 「どこいこう?」と、幸せな日常を確かめようとしているところに、「変化」の象徴である風の気配を感じた。ある意味非情な情景描写のように思います。

 

 

一緒であること

いつかは別々の道

進んでいくのかな?(それでも)

”今以上に幸せ”のイメージ

浮かばないね!

 

 冒頭で「一緒だから大丈夫」ということについてお話しましたが、こういった「仲間」という概念は、同好会メンバーが虹ヶ咲の生徒であることのみによって成立するものではなく、もっと柔軟に、不安を共有する人々の間に成立する関係のことを指していると考えています。

 

 つまり、同好会メンバーが虹ヶ咲を卒業して、大学生になったり社会人になったりしても、一緒に仲間として進もうと思えばそれは可能、もっと言えば可能であることを願っているのがこの曲なわけです。

 

 そうすると、同じ同好会に所属しているという枠組みを越えた別々の道を進んでいくことになっても、「仲間」であることは絶対変わらない。これが「それでも」に込められた想いではないかと考えています。

 

 しかもその願いは何ら根拠のないものという訳ではなく、既にスクールアイドルとして別々の道を歩んでいるメンバーたちは、「仲間」として進めることがスクールアイドルフェスティバルやそこに至るまでの過程で証明されています。

 

 続いて、「”今以上に幸せ”のイメージ浮かばないね!」についてですが、「いまが最高!」の概念と似ているような気もします。「” ”」で強調してあることからも、単にこの歌が完成した瞬間のみが最高点なのではなく、歌うたびに最高を更新する考え方のように思います。しかし、少し異なるのは「恐れ」についてかなと。

 

 今より過去の方が幸せだったなと思うことが未来に対する恐れに繫がるのだと思います。その時点で人生の右肩下がりの地点に居るからです。この先も下り坂ならどうしよう、と。逆に言えば人生が最初からずっと右肩上がり(であることを知っている)なら、この先もずっと幸せだと考えるようになって、未来に対する恐れは抱かないだろう、と。

 

 実際は常に右肩上がりではないために、今以上の幸せはない=今が1番幸せ=(これまでの)人生の最高点だと認識する(しようとする)ことで、これまでの紆余曲折全て含めて今の最高点に繋がっていると認識できるのだと思います。

 

 それによって、巨視的には右肩上がりの人生であったと認識することができ、この先の別々の道を進んでいくかもしれないという、恐ろしい未来に希望を見出そうとしているのだと思います。*3

 

運命って本当にあるね!

君だから思えるよ 出逢えてよかった

 

 出逢えた奇跡は何より宝もの、の概念ですね。「仲間」であるためには出逢いが必須。だからこそ何よりも貴重な宝ものになるのだと思います。

 

 逆に虹ヶ咲にとって「出逢えないこと」がいかに恐ろしいことか、想像に難くないと思います。

 

 ソロアイドルだけど、独りぼっちじゃない。同好会内でもソロとしての性質が特に強いかのように見えた果林先輩でさえ尻込みしてしまう。

 

 普段グループでステージに立たないからこそ独りであることの恐ろしさを知っていて、"一緒"であることから安心と勇気を得るのだと思います。

 

 

さいごに

 Hurray Hurrayは「仲間」の概念の必要性を歌い、それが永遠であることを願う曲として考えてきましたが、虹ヶ咲にとっては「ライバル」という概念も無くてはならないものです。仲良しこよしだけでは皆で立ち止まればいいやになってしまいますからね。

 

 その「ライバル」の概念が明確に現れている全体曲としてはLove U my friends「一緒だと 燃えちゃうよ」が挙げられると思います。他には夢ここや全速ドリーマーもそういった側面が強いように思います。

 

 それから、この記事は、はまーさん(@hama_LLSS)との会話をきっかけに生まれ、Hurray Hurrayの基本的な解釈に大きく影響を受けています。また、ぎぬまさん(@NEXT_Ginuma)には記事全体を見直す手掛かりを頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。

 

 今回はここまで。最後までご覧いただき本当にありがとうございました。ではでは。

*1:乗り越えなければならない壁であったり、期待を受けているから「夢」は絶対消えない。だから何度だって追いかけよう、それしかない。というAqoursの未来に対する概念と見比べると、両者がより際立って認識されると思います。

*2:「支え合ってきた僕ら」というフレーズがそれを表していると思います。分かりやすいイメージとしてはスクールアイドルフェスティバル直後です。まあメタ的にはこの曲がアニガサキ1期BD7巻に付属しているからという理由もあります。

*3:この曲は自分が何かを成し遂げた、と感じられる瞬間にしか歌えないことがここのフレーズから分かると思います。