こんにちは、ネッチです。
この記事では、楠木ともりさんの楽曲「Forced Shutdown」について私が考えた歌詞の解釈について書いていきます。
ともりさんが随所で仰っているように、楽曲の解釈は本当に人それぞれだし、今から述べるものが唯一の正解なんてことはないでしょう。
それでもこれが現時点での私の中での正解だと自信を持って言えるし、しっかり納得もしています。まあ、あくまで1つの解釈としてご覧いただければな、と思います。
ここから先は、「~です」とか「~でしょう」とか、断定的な口調で表現しているところがありますが、それ以外の考えを否定するものではないことを念頭に置いていただければなと。いちいち「思う」とかを書いていると読む方も煩わしいかなと思いまして。
私と君
この楽曲で私が1番解釈に悩んでいた点は、「私って誰?」「君って何?」などといった、この楽曲の登場人物の解釈です。
この楽曲に登場するのは以下の3つの存在かなと思います。
- 私=僕
- 君
- 周囲の人々
1の私と僕については、表現の差はあれど同じ存在を指しているだろうと考えています。表現の差については後ほど詳しく。
3の周囲の人々に関しては、歌詞に直接の言及はありませんが、この楽曲を解釈する上で欠かせない存在だと思っています。「声に巻かれ」などに現れています。
そして、ここで1つ提案したい解釈があって、それは「私=表向きの自分・上っ面の自分」「君=内側の本当の自分」というものです。「関わり」への依存が高まり*1、周囲に合わせるための”私”という分厚い皮で”君”を覆ってしまった人間の歌なんだろう、と。
つまり、自分を見失うとは、”私”で”君”を覆ってしまったが故に物理的に見えなくなってしまったイメージだとも言えるでしょうか。
そしてこの楽曲は、そんな”私”から”君”へ向けた懺悔と贖罪の曲なのではないか、と考えています。*2
このイメージを基にして歌詞を1つずつ考えていきましょう。
歌詞1番
もうきっと取り返せないのだろう
伝えたかったことは伝わらないまま
声に巻かれ 嘘を刺すようになる
「取り返せない」は下の「伝えたかったこと」を取り戻せないという意味でしょうか。取り返しがつかない、という表現もありますので、漠然とした望ましい状態を取り戻せない、とも読み取れるかも。
「伝えたかったこと」は先に示したイメージで考えると、「自分の本当にしたいこと、言いたいこと」などの「本心」を表すフレーズであって、それは”君”が発するものである、と考えることができます。
ところがそういった本心は、「(周囲の)声に巻かれ」=「気圧されて」、嘘を言ってしまう。ここの「声」の主は周囲の人々が発するものです。
濡れた睫毛に透かして 何を見て微笑んだの
「濡れた睫毛」は涙を暗示しているんでしょうか...ネッチはそれくらいしか思いつきませんでしたが果たして。
これが涙であると仮定すると、涙というのは(基本的には)本心・感情があってこそ流れるものなので、この涙は”君”のものであると言えるんじゃないでしょうか。
悲しいとか嬉しいとか具体的な感情を当てはめてもいいかもしれませんが、「君の涙=(広く)本当の感情」と考えてもいいかなと。
そして、「何を見て微笑んだの」は、涙を流した”君”が何を見て感情を顕にしているのかが分からない”私”を描写しているのだろうと思います。
目は口ほどに物を言う、という言葉の通り、目は本心を表すと言えるんじゃないかなと思うのですが、そう考えると”君”を覆う”私”というのは目だけは覆っていなかったとイメージできるかもしれません。そして、その覆われていない目から本心が溢れ出ているのでしょう。
無理して上げたアイライン
溶けて愛が頬を走る
「無理して上げたアイライン」は表面上の話なので”私”のものです。アイラインを上げるとつり目に見えるので、気を張り詰めている”私”の姿がイメージできます。
そして、そんなアイラインが”君”の涙で溶けてしまうというのは、"私"が抑えきれず”君”から溢れ出た感情が、外側の”私”を溶かす="私"が限界を迎えつつある、ということでしょう。もう周囲に対して取り繕うことができなくなってきているようなイメージ。
君が笑ってくれればそれでよかったのに
いつか消えゆく記憶止まりでよかったのに
”君”が笑ってくれればよかったのに。実際は笑ってくれないということでしょう。"君"に涙を流してほしくない”私”の言葉だと言えると思います。
「いつか消えゆく記憶」については、記憶が残らないのは「それほど衝撃的ではない」もしくは「頭の中で反芻していない」ということだと思うので、つまりは「とりとめのない記憶」、もっと言えば「(”私の”)上っ面だけのもの」ということでしょうか。
そんなつまらない記憶なんて本当は要らなかったんだ、という風に聞こえます。
私はいつ君を傷つけたの?
「 」
そう、私はもう歌えないね
ここの「 」については、ともりさんの仰る通り、それぞれが思う言葉を入れて考えるのが良いかな、と。
もしくは、取り繕うための皮が厚くなりすぎて、”君”の言葉がもはや聴こえなくなった”私”を象徴的に表した記号だとも言えると思います。
「歌えない」については、”君”を封じ込めたまま感情を乗せて歌うことはできない、といった意味でしょうか。「歌う」を「リズムに乗せて声を出す」の意味だけに限定しなくてもいいかもしれませんが。
歌詞2番
もうきっと取り返せないのだろう
歌いたかったことは歌われないまま
蜂に刺され 腫れは素顔隠した
「蜂」は「周囲の人々」や「周囲の人々の言動」を表しているかな、と。
その蜂の毒による腫れのせいで、遂には目さえも覆い隠されてしまったということかな。泣きっ面に蜂。
隙間見つけて囁く 君も僕も同じと
無理して閉めた窓も
叩き割られちゃ意味がない
「隙間」は”私”と”君”を隔てる皮あるいは「窓」の隙間ということだと思います。
「僕」という表現は、”君”に寄り添おうとしている”私”を表しているように思えます。距離感が近いイメージですね。*3
「無理して閉めた」は”私”が、”君”の声が聴こえないようにしようと閉めたものでしょう。
そんな窓が叩き割られるというのは、抑圧された”君”が爆発する瞬間を表していて、その時今まで周囲に対して隠していた本心が露呈してしまうわけですね。
そうなると、私+君が社会的に死んでしまうということで、そんなことはしてほしくないと”私”は”君”を宥めようとしているのかなと思います。
君が笑ってくれればそれでよかったのに
”君”が笑うというのは、本心である”君”が抑圧されないことを願う”私”を表しているのだろうとは思いますが、一方で窓を叩き割られない程度に”君”を宥めつつ(=笑ってもらいつつ)隠そうとしている”私”の気持ちを表現しているとも解釈できる気がします。
思いもしない言葉 伝えたくなかったのに
私がいつ君を愛していたかも?
「 」
そう、君にはもう届かないから
「思いもしない言葉」について、伝えたくなかったのは「周囲の人々に対して」という意味もあるでしょうし、「周囲の人々に対して発すると同時にどうしても聴こえてしまう”君”に対して」という意味もあるかな、と。
自分が嘘を付くときに、心の中ではその嘘に気付いている自分が居る。そんな感覚です。
「君にはもう届かないから」。”私”が”君”を抑え込み続けた結果、気付いたときには2人を隔てる皮が分厚くなりすぎたか、あるいは”君”が”私”の言葉を聞くに耐えなくなり、爆発を通り越して反応が無くなってしまったか。本心が失われかけているのかも。
何もうまくいかないのは
溢れ出るものが曖昧で
それでいて悲しい理由は
ビビッドで目蓋も閉じていく
「溢れ出るものが曖昧」なのは”君”が覆われていて、”君”を見失いかけているからで。
それでも「悲しい」という感情だけは”君”がいない上っ面の"私"にもはっきり分かってしまう。溶けたアイラインという形で顕になって残っているから。”君”がいないからこそ感じている「悲しさ」とも言えるでしょう。
そして遂にはそんな「悲しさ」の原因である涙さえも抑え込もうと目蓋を閉じたのか。あるいは表向きの”私”が意識を手放したとも解釈できそうです。
君の不細工な色眼鏡
外して踏みつけて粉々にしたい
「君の不細工な色眼鏡」とは、つまりは”私”そのものであって、それを外して粉砕したいということは、”私”を消し去りたいという意味でしょうか。
君が笑ってくれればそれでよかったのに
いつか消えゆく記憶止まりでよかったのに
私はいつ君を傷つけたの?
「 」
そう、私はもう笑えないのね
「私はもう笑えないのね」は”私”の消滅を表していると思います。結局は色眼鏡を外して粉砕したということで。消滅しているから笑えないのは当然です。
しかも”私”は笑わない方が良いとさえ言えるわけです。”君”が笑うための第1歩になるから。
こういった意味で、Forced Shutdownは”私”から”君”へ向けた懺悔と贖罪の曲なのではないか、と考えています。自らを粉砕することで”君”を抑圧し続けた罪を償おうとした”私”の物語。
さいごに
さて、ここまで私の解釈をひたすら書いてきたわけですが、皆さんがこれをご覧いただいた中で、「これは流石に違うのでは?」といった感想をお持ちになった場合それは大切にしてほしいな、と思っています。
「君」や「私」をそれぞれ異なる人物に重ねて聴くことだってできるだろうし、そういった楽しみ方はその人だけのものになると思います。自分も今後そういった聴き方をすることもあると思います。
あくまでForced Shutdownを私と君が同一人物であると考えた場合、今回ご紹介した解釈ができるのかもなあ、と思った次第です。
また、今回の解釈では"私"が価値の低い悪者みたいになってしまいましたが、誰もが持っている存在ではあるだろうし、自然に使いこなしている人が多いとは思うんですよね。
それが行き過ぎると"君"が失われてしまう危険性があるということで。ほどほどが1番ですね。
それではこの記事はここで終わりにしたいと思います。最後までご覧いただき本当にありがとうございました。ではでは。