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ラブライブ!シリーズやその他のことについて書こうと思います

桜坂しずくちゃんについて語りたい話

 こんにちは、ネッチです。

 

 今回は2021年3月31日に発売された「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 素顔のフォトエッセイシリーズ03 Rainbow Days~歩夢・しずく・果林~」を読んで考えたことを語りたいなと思っています。

 

 正確にはしずくちゃんパートを読んで(他のメンバーのパートも読み終わらぬままの勢いで)書き始めています。

 

 

空想好きであること

 まず1つ目に語りたいことは「しずくちゃんは空想が好きである」ということです。

 

 Rainbow Daysではこの「空想」というワードが度々登場していました。

 

 アニガサキでは、人に嫌われたくないという思いから皆に好かれる良い子の桜坂しずくを演じていたこと、かすみちゃんとの一件を経て本当の私を曝け出すことが描かれましたね。

 

 特に放送当時(13話のしずくスカイブルーハリケーン以前)は、「嫌われないための演技」というイメージのインパクトが強すぎて、演劇好きのしずくちゃんは何処へ...と思ってしまうこともありました。*1

 

 ところが3rdライブ後ぐらいになって、(アニガサキにおいても)「しずくちゃんは演劇が好き」なのだという結論に至りました。

 

 13話の演劇のシーンを見たからというのはもちろん、演劇が好きではなかったら人目を気にして良い子の桜坂しずくを演じる必要もないだろうと思ったからです。好きだからこそ隠す必要が生じてくるわけですよね。

 

 直接的に演劇が好きだということを示すストーリーではなくても、演劇好きの一面がストーリーの起源になっていることを読み取れるというのは、演劇好きなしずくちゃんが好きな自分としては嬉しいですね。

 

 さて、Rainbow Daysの話に戻りますが、しずくちゃんのパートでは初っ端から空想を膨らますしずくちゃんが描かれていました。

 

 この時点でスクスタ準拠なんだっけ?と反射的に思ってしまうのは僕の悪い癖なのですが、しっかり「人目を気にして本当の私を封じ込めた」というお話も書いてありましたね。

 

 そして1つ思ったことは、「演劇が好きである以前に空想が好き」と表現する方が分かりやすいかもしれないということです。

 

 演劇が好きであることは間違いないのでしょうが、それは空想が好きであって、人目を気にせずその空想に目一杯のめり込める場として演劇が好きなのだ、ということかなあと。

 

 こういう点においてスクスタとアニガサキでの差異は小さいと思うし、Rainbow Daysで空想好きという一面がはっきり描かれたのは嬉しいですね。

 

 

演劇という居場所

 Rainbow Daysには「演劇という居場所を見つけた」という内容がありました。

 

 舞台の上では人目を気にせずいくらでも空想の世界にのめり込める、とのことです。

 

 ただネッチとしては、”本当の私”=”空想好きの私”というものを演劇において曝け出していたというわけではないだろうと考えています。

 

 つまりは、舞台の上では空想の世界にのめり込み役を演じられる、という風にしずくちゃんの大好きなことが実現してはいますが、それは”空想好きな私”そのものを表に出しているわけではないですよね。

 

 そしてこの、大好きなことをするが故にそれを大好きな自分自身が表出されないという、一見矛盾にも思える状態が変化したのがアニガサキ第8話だったのだろうと思います。

 

部長「この役は、自分を曝け出す感じで演じて欲しかったの。」

しずく「曝け出す?」

部長「役柄も歌手って設定だし、スクールアイドルのしずくなら適任かなって思ったんだけど...」

TVアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第8話より

 

 つまりは「自分を曝け出すような役」の登場です。厳密には曝け出す”ような”、ということですので、本当の意味で曝け出すわけではないのでしょう。それだったら役では無くなってしまうので。

 

 ところがしずくちゃんはこの部長の(恐らく何気ない)言葉に相当のショックを受け、役を超えて自分を曝け出すことについて考え始めたのかなと思います。やっぱり根が真面目なんだろうなあ。

(2021/06/07加筆修正)「役を超えて自分を曝け出すこと」を否定的なニュアンスで表現しちゃってましたが、ここに悪い意味合いは含まれないかなと思い直しました。アニメ放送期の直前生放送での前田さんの言葉をお借りするなら、これまでのしずくちゃんは「俯瞰が強いイメージ」で、このイメージ自体は「表現者にとって大切」なものではあるけれど、その状態から「脱却する」=(ネッチが思うに恐らく)演じる対象自体に演者自身の要素の一片を滲ませる、ということも必要になった*2。これが部長の要求であり、しずくちゃんが第8話終盤で心理的な枷が外れた結果できるようになったことだったのではないかと思います。(加筆修正ここまで)

 

 最終的にはかすみちゃんとの一件のおかげもあり、『荒野の雨』の主人公としてではなく、しずくちゃんとして空想好きな私を曝け出すことが(少なくとも同好会メンバーの前では)できるようになり、それが心理的に良い影響を与え、『荒野の雨』の主人公役オーディションへの再合格や合同演劇祭での舞台に繋がったのかなと思います。

 

 

第2の居場所

 Rainbow Daysを読んでいて嬉しかったエピソードがあって、それは「同好会内で空想好きの私を曝け出せていなかったのは、同好会に空想好きの私を受け入れてもらえたから」というものです。

 

 受け入れてもらえたのなら曝け出しても良いじゃん、という考えもあるでしょうし、合理的にはそうなのだろうと思います。

 

 ネッチとしては自分自身の経験から「人間はそこまで合理的じゃない」というある種座右の銘のような思想があって、それがこの場面でのしずくちゃんに似ているなあと思います。

 

 空想好きの私は嫌われた過去があるから、受け入れてもらえた同好会という居場所を失いたくない。だからこそ同好会では空想好きの私を曝け出すことを躊躇してしまう。

 

 この合理的じゃない、とっても人間味のある思考に共感するし、こうやってその思考の内容を見せてくれるしずくちゃんという”キャラクター”が好きなんですよね。*3

 

 また、単に過去の嫌われた経験から同好会で曝け出すことを躊躇している、というだけでなく、一度受け入れてもらえたからこその居場所を失う恐怖を感じている、という描写がある意味嬉しかったりします。

 

 まあゲスい考え方ですけど、それでも(本当の意味ではなくとも最初の一歩としての)しずくちゃんと同好会メンバーとの絆を感じられて嬉しかったのです。*4

 

 そして合理的じゃない思考に関連して、「本当の私を曝け出した後でもまた自分を隠す日が来るかもしれない」ということも綴られています。

 

 どれだけ気の置けない間柄であると理解していても、とっさに取り繕って平気な顔をしてしまうことだってあるんだと思います。 

 

 ちょっぴり弱気な部分が愛おしいと同時に、そうやって自分を客観的に見ている姿が面白いなあと思います。

 

 そして「本当の私を知ってくれている大好きな人たちがいることを忘れない」という言葉も。同好会メンバーとの関わりがいかにしずくちゃんを支えているか、特にかすみちゃんのあの言葉がいかに心強く感じたかが窺えると思います。

 

本当の私と桜坂しずく

 Rainbow Daysのしずくちゃんパートの最後に「あなたが演じてきた『桜坂しずく』も大切な役」ということが書かれています。

 

 これは同好会に本当の意味で自分を曝け出すことができた、そしてその喜びを知ったしずくちゃんが過去のしずくちゃんに宛てた言葉なのかなと思っています。

 

 そしてこの「桜坂しずく」という表現がすごくかっこいいなと思います。

 

 今まで演じてきた理想的な自分を桜坂しずくという役だと考えるその思考が変態的衝撃的だし、演劇をしているしずくちゃんらしい表現だなと思います。ちなみに自分も「しずくちゃん」と「桜坂しずく」は割と厳密に使い分けていたりします。

 

 また、人に嫌われたくないという思いから生まれた”桜坂しずく”のことを、しずくちゃんはこれも大切だと考えているんですね。

 

 その真意は色々想像の余地がありそうですが、ネッチとしては過去の自分を一概に否定しない考え方が素敵だなあと思います。

 

 〇〇しか勝たん!ではなくて、これもいいよね、あれもいいよね、という姿勢が自分に近かったりします。

 

 しかもこういう考え方って虹ヶ咲の大きなテーマでもあると思うんですよね。まさにRainbowなわけです。*5

 

 

さいごに 

 この本が発売されてから約2ヶ月後になって初めて読んで、色々衝撃的な部分もありつつ、大方はいやーーーーーーーー............................ そり。ってな感じでうんうん頷きながら読んでいました。

 

 大泣きすることはなくとも、じんわり目が潤むような、優しいストーリーが心に沁みましたね。

 

 アニガサキのしずくちゃんも空想好きであるという重要な事実が生まれたので、ネッチの中でだいぶスクスタとアニガサキのしずくちゃんの差異が無くなって来ています。

 

 あとはスクスタのしずくちゃんが人に嫌われないために桜坂しずくを演じることがあったのかどうか問題だけかなあ、と思います。

 

 スクスタでもそういう過去があったと考えても良いかなという風にも思っています。決して暗いだけの過去ではないですしね。しずくちゃんも桜坂しずくは大切な役だと言っています。

 

 また、今回の記事を書くにあたって考えた結果分からなかったこととして、「しずくちゃんは演劇”部”という環境の中で空想好きの私を曝け出しているのかどうか」ということです。

 

 演劇の舞台上では役を演じているので空想好きの私が表に出てくることはないにしても、演劇部員と好きな物語について語り合ったりすることがあってもいいよなあとは思います。

 

 ただ、そうすると「曝け出すような演技をして欲しかった」という部長の言葉との間に若干の違和感があるんですよね。

 

 情報が少なくてあまり補完のしようがないのでここまでにしますが、アニメ2期で描かれたり、また別のエッセイなんかで登場したらいいなと思います。

 

 さて、それでは今回はこのあたりで。これから別のメンバーのパートも読みたいなあと思っていますので...

 

 最後までご覧いただき本当にありがとうございました。ではでは。

*1:スクスタでは演劇や空想が大好きという一面が語られていただけにギャップも感じていました。

*2:「俯瞰からの脱却」というのがいわゆるアドリブに相当するのかなと思います。

*3:普段あまりスクールアイドルのことをキャラクターとは表現せず、あくまで1人の人間として考えることが多いのですが、ここはあえてメタ的な視点でキャラクターと表現しています。設定と表現してもいいかも。

*4:自分の応援しているグループのメンバー同士の仲が良いと嬉しいみたいな感覚です(伝われ)

*5:虹が7色だと解釈する文化もあれば8色や2色と解釈する文化もあるそうですね。ふと思ったのは、解釈によって色数が異なるのが虹であるのなら、9色や10色と考えた場合がソロ活動であって、3色と考えた場合がユニット活動に相当すると表現できるのかなあなどと。