ねっちりとした今日までの時間

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楠木ともり「僕の見る世界、君の見る世界」について(歌詞考察)#2

 こんにちは、ネッチです。

 この記事では楠木ともりさんの1stEP「ハミダシモノ」に収録されている楽曲、「僕の見る世界、君の見る世界」の歌詞2番についての記事になっております。当ブログで#1として、歌詞1番について考察した記事がございますので、まだご覧になっていない方はそちらの記事を先に読んでいただけるとありがたいです(#1で用いた解釈や独特の言い回しが本稿でも登場いたしますので予めご了承ください)。

 #1はこちら。楠木ともり「僕の見る世界、君の見る世界」について(歌詞考察)#1 - ねっちりとした今日までの時間

 それでは早速歌詞の2番から見ていきましょう。

 

 

 

歌詞2番

ストロボ写真を並べて見るよ

昨日の一枚 今日も撮った一枚

『同じに見えるね』

「わかってないな」

変わってみたい 変わってみせたい

 少し長めにまとめて考えていきます。

 ストロボ写真とは、ある一定間隔でストロボ=フラッシュを焚いて、同じフィルム上へ多重に撮影した写真のことだそうです。

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ストロボ写真(自由落下)

こんな感じのやつですね。 そして彼はストロボ写真を昨日、今日と撮影してきたようです。

 その後、『同じに見えるね』「わかってないな」と会話のようなものが続き、彼は変わってみたいと言っているようです。#1で触れた通り、彼は憧れの存在を追いかけるのではなく自分の道を行くんだ、と決意していましたから、この部分の「変わってみたい」は、今までの憧れの存在を追いかける自分から、自分だけの道を行く自分に変わりたいということだと解釈できそうですね。Lyric Videoでもしっかり靴(=”歩く”ことの象徴)が映っています。

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楠木ともり「僕の見る世界、君の見る世界」-Lyric Video- より

 そう考えると、『同じに見えるね』や「わかってないな」は憧れを追いかけていた自分や、そんな自分が見る世界が変わったか否かということを言っていて、『』が心の中の冷めた自分や昨日までの自分のセリフ、「」が変わるぞと一歩を踏み出した彼のセリフであると言えるでしょう。ちなみに『』のセリフの間Lyric Videoではフードを被った彼と脱いだ彼が対面している様子が描かれています。このフードは彼の心境を表すアイテムとしてこの後の場面でも印象的な描かれ方がされています。少し先になりますがcメロ最後の「きみと」の部分で最終的に本当の意味で自分だけの道を行くぞ、と彼が再び決意し直すという文脈で、”フードを脱ぐ”という描写がなされます。つまりフードを被っている状態の彼はまだ憧れを追いかけているのであり、フードを脱いだ彼はもう自分だけの道を行くと決意していると解釈できるわけです。このことが『』は心の中のマイナスな自分あるいは過去の自分であるということの根拠になっています。

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楠木ともり「僕の見る世界、君の見る世界」-Lyric Video- より

 歌詞を遡るようにして考えてきましたが、ここまで来るとストロボ写真の意味も掴みやすくなると思います。ストロボ写真は先の画像のようにある時刻からある時刻までの被写体を断続的に撮影した写真のことでした。ここでちょっと想像してみてください。先の画像の黄色いボールを彼の見る世界(彼の撮影する世界)であると考え、画像のように世界を断続的に撮影したとします。(本来のストロボ写真とは原理が異なりますがイメージ的にカメラの連写機能を用いましょう。)このとき彼がこれまで見てきた「伸びきっている」世界を連写するとどうなるでしょう?

電車の車窓から見る景色ってブワ~っと流れていく

(#1インタビュー記事より) 

楠木ともりさんによる「伸びきっている」という表現の由来です。ブワ~っと流れていく景色をカメラで連写しても伸びているようには写らないのではないでしょうか?(シャッタースピードは十分速いものとしましょう。)つまり、伸びきっている世界も写真の上では正常な世界として写る、だから『同じに見えるね』と言うことができるわけです。

 しかし、写真の上で正常であっても実際の世界は伸びきっているわけですから、その言葉は強がっているにすぎません。だからこそ一歩を踏み出した彼は「わかってないな」と言うことができるのです。

 

忘れ物はしてない 調子も悪くない
はずだった はずだった なのに

 ここも1番と同様に、道を歩いている時の話であると考えましょう。これは私だけかもしれませんが、忘れ物をしたかどうか気になることって普段とは違うことをしようとする時に多く経験するものだと思います。例えば、毎日の通学や通勤のようにルーティーン化した行動よりは、旅行など特別な行動をするときに忘れ物に気をつけたりしませんか?そう考えると、ここでの彼が忘れ物をしていないはずだ、と気にかけているということは今までとは違うことをしている、すなわち自分の足で歩いているということであり、そのことがこの「忘れ物はしてない」という一言から印象的に浮かび上がってきます。

 

僕の見る世界は伸びきっている
アスファルト突き破った小さな花も
君の見る世界にはいないでしょう?

 「伸びきっている」の解釈は#1と同様に解釈するとしましょう。

 「花」の解釈については様々な考え方があると思いますが、ここでは「花」=「幸せ」という風に捉えてみましょう。これは参考程度ですが、Lyric Videoでは「花も」の歌詞の部分で(恐らく)タンポポの絵が映っています。タンポポ花言葉に「幸福」というものがありましたので、「花」=「幸せ」というのもそこまで無理な解釈でもないと考えています。(タンポポ花言葉には他にもネガティブなものもあるようですが)

 話を戻すと、アスファルトを突き破った、つまり道端のアスファルトの隙間から生えている小さな「花」=「幸せ」は君の見る世界にはいない、ということですね。つまり、(憧れるような)成功へのレールをどんどん進んでいく君は道端の小さな幸せなんかには目もくれないのでしょう、という感じでしょうか。君はアスファルトの上を歩かないのですから、道端の花に気付かないのも無理ありません。

 1番歌詞でも同様に歌われた「君の見る世界にはいない」物として「落ちる涙」というものがありましたね。道端の花も落ちる涙もどちらも下にある(落ちている)もので、電車に乗っていれば当然目に入らないものです。まとめると、苦悩の涙や小さな幸せはスターである君の世界には無いのだろう、と彼は考えているのかもしれません。

 また、「突き破る」に注目して考えると、これは地面の底から這い上がるような泥臭い経験(を君はしたことがないのだろう)とも解釈できそうです。そうすると、「突き破った小さな花」は彼が実際に経験した泥臭くて地道な努力の末の小さな幸せのことだったのかもしれませんね。

 

車窓から覗く 君が、見えない

  ここの解釈を考えている時に、Lyric Videoを見ていたところ面白い発見がありました。

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車窓から覗く君(1番)

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車窓から覗く君(2番)

 これは「車窓から覗く君が、」の部分でのLyric Videoの映像です。1番と2番で見比べてみると、2番では1番より視点が明らかに下に下がっていますよね。(私がトリミングしたわけではありません)先程も触れた通り「落ちる涙」や「花」など”下”をイメージさせる言葉がこれまでに登場しており、ここでの視点の降下もその流れによるものだと思います。そのせいで電車に乗る君が見えないということなのでしょう。

 「見えない」についてですが、これは「見たくない」というニュアンスを含んでいるようにも思います。すなわち、自分の道を歩き出したはいいが、君とのギャップに打ちひしがれもう君を見ていられない、というイメージです。「見えない...見えない...」と自分に言い聞かせている感じでしょうか。

 

星に笑え はるか遠くへ

 ここの部分の解釈が私にとって非常に難しく、この楽曲全体を通して見ても一番悩んだといっても過言ではありません。そのため、少々解釈に無理があったり、ブレている部分があるかもしれません。そういう見方もあるかもなあ、というようにお手柔らかに考えていただければ幸いです。

 さて、「星」が一体何を指しているのかということですが、これまでの流れに乗ればまず思い浮かぶのが「星」=「君」なのではないでしょうか。人気のある超有名人をスターと言ったりしますよね。

 そしてその後の「笑え」の考え方によってこの一節の印象がガラッと変わったりしますので慎重に考えていきましょう。まず、基本的なイメージとしては星の方向を向いて笑う、ということでしょうか。そして「星"に"笑え」ですので「星"を"笑う(笑え)」ではないわけです。つまり、君を嘲笑うという線は薄そうですよね。(まあ当たり前か)

 君に対しての笑いではないとすると、この笑いは自分に向けたもの、あるいは誰にも向けていない(=自然に出た笑い・笑み)であると推測できます。

 1つ目に挙げた、自分に向けた笑いであるとすると、はるか遠くの星(=君)の方を眺めて自嘲気味に笑うという感じでしょうか。「あんな遠くの存在に追いつける訳がないんだよ.....もう情けなくて笑っちゃうよなぁ」てなイメージですかねえ。

 2つ目の、自然に出た笑いであるとした場合の解釈ですが、これには次の一節の歌詞と合わせて考えると自然なように思います。「僕にしか出来ない旅をしよう」です。この一節から、彼はこのあたりで本当に自分だけの旅をしようと決意しているわけです。つまり、ここでの笑いとは、これからの新しい旅が始まることに対する期待や希望が溢れ、自然と笑みが溢れているということなのでしょう。

 また、余談ですが、これまで落ちる涙や道端の花など、”下”をイメージさせるものが多く登場していましたが、ここで星という”上”をイメージさせるものが登場したわけですよね。この、彼の心情の浮き沈みと視点の上下を連動させながら、聞き手にダイナミックな世界を想起させる歌詞のセンス、流石です。もうね、ほんと大好き。いっぱいちゅき♡(殴

 

そうだった
僕にしか出来ない旅をしよう

きみと


僕の見る世界は伸びきっている

 さて、次の歌詞ですが、ここもなかなか深いように思います。彼は「そうだった」と言い、「僕にしか出来ない出来ない旅をしよう」と言います。ここで、少し「あれ?」と思われた方、既に大分前から思われていた方、いらっしゃるかもしれません。それは、彼は冒頭で

電車に乗りたい気持ち抑えて
歩いてみたい

というように、憧れを追いかけるのではなく、自分の道を行くのだと言っていたにも関わらず、ここでもう一度僕にしか出来ない旅をしようと言っているわけです。矛盾しているようにも思えますが、ここでは矛盾というより、最初に自分で歩いてみたいと言った彼はまだ本当の意味で憧れの君とは違う道を歩んでいたわけでは無かった、ということなのでしょう。#1で触れた通り、”呪い”はそんな簡単に解けるものでは無かったのです。彼がこのことに気付いたからこその「そうだった」なわけですね。

 そして、これまた重要な一言「きみと」の登場です。ここの解釈について私は2通り考えています。ですが、ページが少々長くなってしまいますので、ここで皆さんにはどちらか一方の解釈を選んでいただき、そのリンクの先へとご案内することとしましょう。どちらをお選びいただいても構いません。もちろん両方ともお読みいただくことも歓迎いたします。

  1. 僕にしか出来ない旅を ”きみと” しよう。
  2. 僕にしか出来ない旅をしよう。きみと僕の見る世界は伸びきっている(のだから)。

 ではでは。