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虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会アニメ感想第3話

 こんにちは、ネッチです。

 

 この記事は虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のアニメ第3話についての感想記事となっています。本稿はアプリ「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS」のストーリーに関するネタバレを含む場合がありますので予めご了承ください。

 

 さて、第3話感想記事とは言いましたが、今回は(自分の中の基準で考えると)あまり感想記事とは呼べないような代物になりそうです笑 というのも、第3話、とても綺麗な流れになっていたので、自分はこう解釈しましたよ、っていう第1話第2話のような解説風記事を書こうという風にならなかったわけです。

 

 じゃあ何のための記事なんだ、ということですが、つまるところ本筋とはあまり関係がなさそうだったり、細かすぎるだろ!っていうところについて妄想を垂れ流していこうという記事になっています。

 

 

 

同好会でのエマさんの立ち位置

 せつ菜ちゃん回なのにいきなりエマさんについて書くとはこれ如何に、という感じですが...笑

 第3話では、エマさんは直接本人が登場しているシーン以外でもエマさんの名前が登場しています。例えば、

菜々「わざわざせつ菜と一緒に呼び出すなんて... まさかエマさん?いえ、朝香さんと考えた方が...」

第3話後半、菜々が屋上に呼び出されるシーン

せつ菜ちゃんと菜々さんを同時に呼び出されるシーン*1。2人同時ということから、2人の関係性を知っている人物に呼び出されたと考える菜々さんですが、どうしてエマさんを真っ先に疑ったのでしょう?しずくちゃんも彼方さんも疑われる余地はあったはずですよね。この後の屋上でもこんなシーンが。

侑「こんにちは、せつ菜ちゃん。」

菜々「! エマさんたちに聞いたんですね。」

第3話後半、菜々が屋上で侑と会話するシーン

ここのセリフでは「"エマさんに"聞いた」というように限定してはいませんが、同好会に言及するときに、エマさんで代表していますよね。

 

 これらのことから私が感じたのは、せつ菜ちゃんにとってエマさんは同好会メンバーの中でもそれなりに存在感があった...?ということです。

 同好会の性質として、一人ひとりがしっかりとした自分を持っていて、各人の存在ははっきりしているという印象を私は持っていますが、こういうメタ的な話ではなく、キャラ自信がその住んでいる世界でお互いに対して持っているイメージとして、存在感の違いというのがあったのかもしれません。

 ということで、我々が既に持っている知識(スクスタのストーリーなど)から、エマさんはこうこうこういう理由で存在感があったのだ、と言い切ることはできないので、これ以上広がらないお話ですね。第3話の時点では。

 まあ敢えて1つ言うならば、第2話冒頭のせつ菜ちゃんとかすみちゃんが衝突するシーンで、最初にせつ菜ちゃんを諌めようと声を出したのはエマさんでしたね。「せつ菜ちゃん、少し休憩しよう?」と。たまたまだった可能性も十分ありますが、たまたまでなければ、こういう点でエマさんは存在感があったのかもしれません。

 ほんの一瞬の言葉から得ただけの印象なので、深読みしすぎのような気もしますが、やっぱり気になっちゃうんですよね。実際の我々の人間関係においては、こういった言葉尻から得た印象に振り回されるのはあまり良くないと考えているんですけどね。アニメだし、今後の伏線とかになってたらすげえなあという感じです。もしそうなったらドヤ顔をしているであろう私を暖かく見守ってやって下さい。

 

 

 

 「大好き」と「わがまま」

  せつ菜ちゃんの代名詞のような言葉で、せつ菜ちゃん自信も何度も口にする言葉「大好き」。では、「わがまま」とはどう違うのか。

菜々「私の大好きが、誰かの大好きを否定していたんだ。それは結局ただのわがままでしかなく、...」

第3話中盤、菜々さんが「CHASE!」の動画を見るシーン

人の大好きを否定する大好きはわがままである、と。なるほど。

 細かい話ですが、人の大好きを否定する大好きがわがままと同値か?と言われると私はちょっと自信ないですね。わがままであっても、それは人の大好きを否定しているわけではないことだってありそうです。

 例えば、ねるねるねるねが欲しいと駄々をこねる子どもが居たとしましょう。その子のお母さんがわがままを言うんじゃありません!と叱るシーンでは、子どもの駄々は、お母さんの虫歯になったら大変だという子どもを思う気持ちなんかを否定しているわけですね(あくまで例ですよ。ねるねるねるねを中傷する意図は毛頭ございません)。

 でもかわいい孫が欲しがる物は買ってあげたいと思うおじいちゃんにとっては、その子にねるねるねるねを買ってあげることをむしろ喜ばしく思うかもしれません。

 つまり、わがままと言われるものは、それを受け取る人によってわがままになったりならなかったりするのでしょう。

 

 ここで第3話最後のシーン。

菜々「私の本当のわがままを、大好きを貫いてもいいんですか?」

侑「もちろん!」

第3話終盤、屋上での菜々と侑の会話

かつて、人の大好きを否定した菜々さんの大好きはわがままと言えるわけですね。本人もそう言っていました。しかし、この会話ではそんなわがまま=大好きを貫いてもいい、と侑ちゃんは肯定してくれています。

 まあ、なんてことはないんですが、菜々さんのわがままは侑ちゃんの大好きを否定しておらず、むしろ喜ばしいものだったということです。先の例で言うと菜々さん=子ども、侑ちゃん=おじいちゃん、なわけです。

  

  また、人の大好きを否定しないわがまま、というのは受け取る人のみならず状況によっても存在し得るものなんでしょう。

 子どもの誕生日になら、ねるねるねるねを買ってあげてもいい、とお母さんは考えてくれるかもしれません。

 無理に大会に出場する必要がない、という侑ちゃんが導いてくれた新しい風が吹く状況であれば、せつ菜ちゃんの大好きはわがままではなくなるんでしょうね。

 

 そして最後に1つ余談を。誕生日にねるねるねるねを買ってもらった子どもは何と言うでしょうか。

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「ありがとう」

 

 

 さて、いかがだったでしょうか。

 思ったより真面目な話もしちゃいましたが、なかなか味わい深い第3話だったように思います。

 いやあ、3話が始まる前は胃が痛くなるような思いでいた私ですが、今の気持ちとしては「よかったなあ、せつ菜ちゃん」という感じです。うん、やっぱ3話はこの一言に尽きるなあ。

 

 今回はここまでといたします。最後までご覧いただきありがとうございました。ではでは。

 

 

 

*1:この時の校内放送の声は歩夢ちゃんだったわけですが、菜々さんはそのことに何か思うことはあったんでしょうか? 2人は第1話で会話していたので面識はあるはずですね。学生時代に先生に呼び出された時に、「あ、これは〇〇先生だ」って気付く経験ありませんか? まあ気付いてなくてもおかしくはないかあ。