こんにちは、ネッチです。
今回は2022年7月1日に開催された、ペイトン尚未さんのバースデーイベント「浪漫てぃっくな魔法」にて披露されたペイトンさん作詞作曲のオリジナル楽曲について書こうと思います。
主にその歌詞について自分が感じたことを書いていきますが、半分以上が憶測なので正しいかどうかという次元のものではありませんが、感想文として残して置くのも悪くないかなという気持ちで書いています。*1
歌詞について
まずは最初のフレーズから。
夏のはじまりには似合わない
雨の匂いただよう
虹が架かるのを待ちながら
五線の虹を描いた
ペイトンさんの誕生日が7月1日であることや、浪漫てぃっくな魔法というイベント全体が夏祭りをテーマにしているということから、「夏」というワードが登場するのは自然なことと思いますが、ここで意識されているのは「似合わない」という概念だと思います。
「夏」と聞いてパッと思い浮かべるイメージとしては、綺麗な海や砂浜、花火、スイカ割りなどがあると思います。ところが実際には35度を超えるうだるような暑さ、雨や打ち水で濡れたアスファルトから漂う微妙な匂い、汗だくのTシャツなども夏にはつきものなわけです。
そういう理想と現実が「夏」には含まれていて、そしてそれはどんなことにも言えるのだろうと思います。つまり、「夏のはじまりには似合わない」というフレーズには、あらゆる物事に対する「理想」と「現実」のうちの「現実」の方にフォーカスを当てていることを象徴しているのだと思いました。
そして逆に、「虹」は「理想」を表しているのだろうと思います。「虹が架かるのを待つ」ということは、今は架かっていないということ。だからこそ、歌という手段で「理想」を叫ぶ、それが五線の虹を描くということだと思います。
誰も知らない音
見向きされなかった音
全部私が声に乗せるから
ほら、聞こえる?
このフレーズではペイトンさんの過去の芸能活動が意識されているだろう、と自分は勝手に想像しています。また、ボーカロイドの存在も意識されているか、あるいは無意識にその概念が現れているような気がします。
というのも、「浪漫てぃっくな魔法」の一問一答コーナーにて、好きなボーカロイドの楽曲を1つ選ぶとすれば何?という質問に対する答えが「RyoさんのODDS&ENDS」だったのですが、この楽曲で表現されているボーカロイドの存在意義が、どことなくペイトンさんのこの歌詞に通ずる気がしたのです。
ODDS&ENDSの歌詞で、ボーカロイドは、伝えたい想いがあるけれど歌で人に上手く伝えることができない人(つまりマスター)のために、代わりに歌うことができる存在である、という様な説明がなされています。
ペイトンさんの歌詞においても、「誰も知らない音」「見向きされなかった音」という、人に伝わっていなかった想いを私が歌う、というニュアンスが共通しているなと思いました。
じゃあペイトンさんの場合のマスターは誰か、というと、自分やこのセカイそのものなのだと思います。
キラキラ輝くセカイはきっと
まだ知らないはずむ鼓動
教えてくれる
Starlight Prologue/Liella!
このスタプロの歌詞の意味で、「誰も知らない音」「見向きされなかった音」をイメージしています。言葉にすると「気付き」「楽しさ」「輝き」といったところでしょうか。*2
見えない誰かの「がんばれ」に
何度救われてきたのかな
何度も間違えてその度に
自分を嫌いになったけど
ありがとう大好きなあなたへ
私今世界一幸せだよ
これからもずっとよろしくね
歌はやまない声は途切れない
歌はやめない声は途切れない
最後のフレーズについて。一番大事な歌の内容自体はストレートに表現されているので特に触れませんが、表現の仕方に注目すると、「見えない誰か」と「大好きなあなた」の対比が僕は好きです。
「がんばれ」と応援してくれる人たちは、自分から見ていつもはっきりと認識(というかidentify)できるわけではない、という感覚があるのだと思います。ペイトンさんから見た「ファン」は特にそうだと思います。
なぜそう思うかというのは僕の個人的な感覚だからとしか言えませんが、ステージに立つ(ことが僕はあるのですがその)瞬間には、普段知り合いと会話をする時のように相手を認識して向き合っているわけではないんですよね。勿論そうではなくステージ上から知り合いを認識できる瞬間も稀にありますが、パフォーマンスをしている瞬間はやはりそんな余裕はなかったりするのが僕の感覚です。
ただ、それでも「応援されている」という温かい感覚だけは確かに感じられるのです。これだけは間違いありません。たとえ観客の一人ひとりを認識できなくても応援されていることは分かる。あるいは後悔したくない自分が最大限のパフォーマンスを発揮したいから応援されていると信じられる。「見えない誰かの『がんばれ』」とはそういう意味なのではないかな、と思っています。
あるいはもっと単純な話として、SNS上で相手の素性は分からないけれども応援の言葉をかけてくれる、これも歌詞に込められた景色だと思います。
また、この「見えない誰かの『がんばれ』」という言葉は、その言葉を直接もらった瞬間以外にも背中を押してくれる、ということを書き添えておきます。
そして、「見えない誰かの『がんばれ』」に対するお返しとして「ありがとう大好きなあなたへ」と歌うのです。自分を個人として認識してくれるファンは、自分からはたとえ見えなくとも、届けてくれるその想いはきっと真実。だから今度は自分からの想いを総体としてのファンではなく個人としてのあなたへ届けたい。届いていると思いたい。そんな切実な願いがこのフレーズに込められているのだと思います。
さいごに
この楽曲は2022年7月27日から8月15日までの間に、楽曲タイトル案が一般に募集されていました。Twitterで見る限り、多くの人がタイトル案を応募していたようです。どんなタイトルになるのか楽しみですし、決定したらこの記事に追記しようと思います。
また、本文には入れられなかった事として、「声は途切れない」の「声」には、ファンからの声援という意味が込められていると素敵だなと思っています。「これからもずっとよろしくね」の通り、「声援は途切れないよね」というファンへの信頼とも解釈できるからです。
Liella!2ndライブ横浜公演でペイトンさんが宣言した歌姫になるという夢。Liella!としての時間も大切にしながら、その道を着実に歩んでいっているように思います。今後のご活躍に期待しています。
(2024年3月24日追記)
2024年3月20日に開催されたペイトン尚未2nd LIVE「泡沫」にて、本楽曲のタイトルが発表されました。「7月1日」とのことです(正確な表記は未発表)。
2nd LIVEで受け取ったメッセージも加味すると、この記事を書いた当時とは少し違う景色も見えてきました。やはり歌は歌うたびに生まれ変わりますね。
注釈のない歌詞の引用は全て「ペイトン尚未バースデーイベント2022 浪漫てぃっくな魔法 SPECIAL SITE」(https://smavoice.jp/s/sma03/page/27_BirthdayEvent2022?ima=5902)より引用